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二番目の山羊 ~アイヌは先住民族に非ず

2008年の先住民決議は騙し討ち。2019年のアイヌ新法も不当です。 ※現在は、twitterもFBもやっていません。 【 pixiv:5770560 】

海外では、北海道開拓史がアイヌ虐殺史として喧伝

海外では、北海道開拓史が
虐殺史として喧伝されている。



ミュリエル・ジョリヴェ著、鳥取絹子訳、日本最後のシャーマンたち、草思社20230216 ※引用(漢数字→アラビア数字)

北海道のインフラの裏側……
「北海道が近代化したのは、アイヌ人の労働者だけでなく、中国人や朝鮮人のおかげなんですよ。中国人や朝鮮人で逃げようとした人たちは、生き埋めにされていました。はい、本当に『生き埋め』です、仲間に見せしめにされたんです! 父は何人か助け、馬ゾリのなかにかくまっていました。もちろん、命がけでした。
 (中略)
父はあまりに早く56歳で亡くなりましたけど、200人は助けたはずだと言っていましたね。しつこいですけど、逃げようとした人は生き埋めにされたんですよ。中国から遺骨を探しに来た人もいます……」
※日本最後のシャーマンたち[p291-292]草思社2023.2.16
 著者:ミュリエル・ジョリヴェ/訳者:鳥取絹子




……上記はアシリ・レラの発言です。
ビッグ・マムとして有名なプロアイヌ。


海外向けのインタビューに答えた内容。



レラについては、「私が竜巻を起こしました」の発言でご存知の方も多いかと。
その竜巻のエピソードも、同書の著者へのインタビューの中に登場しました。
 ↓↓↓

※再度、引用(漢数字→アラビア数字)
つい最近、侵入者を追い払うのに竜巻を起こしました
「私たちは神さまと会話をしますけど、これはみんなできます。2018年8月16日のことでした。お祭りの最後を飾る祈りが行われる前の日、私は本当に怒っていたので、竜巻を起こしました。だってまるで関係のない人たちが来ていたんですよ。それは花火のようでしたけど、三倍は強かったですね。私の邪魔をした不届き者たちはその場を去らざるをえなかった。だって、テントが全部飛んでしまったからです。私は神さまにお任せしたんですけど、そのあと静かになってくださいとお願いしました……。でもやっぱりどう考えても、侵入者のテントだけが飛んだのは不思議ですね。
(後略)
※日本最後のシャーマンたち[p293-294]草思社2023.2.16
 著者:ミュリエル・ジョリヴェ/訳者:鳥取絹子






……「真に受ける人がいるの?」と考えるのが、一般的な日本人でしょう。
しかし、北海道開拓史が、海外で虐殺史として喧伝されているのは事実です。

以下は、以前にも拙宅記事で紹介した、砂澤陣さんの著書へのレビューですが。
 ↓↓↓

シンガポールでアイヌ差別? テニスおやじ
2016年9月25日に日本でレビュー済み
買う予定ですが、20年前、シンガポール大学の日本語の授業は恐るべきことに、日本人のサヨク教師の日本のアイヌ差別の人種問題と民族たいりつです。語学選択ですが、シンガポール人の日本語履修者に聞きました。シンガポール大学は東大以上の評価の大学です。こうしてあらゆるてを使い日本を貶め生きるのがさよくです。英語の初学者にインデアンの虐殺や白人による性病の蔓延を教える人はいないでしょう
(後略)
https://www.amazon.co.jp/gp/customer-reviews/R3SF15YD2X6GAC/ref=cm_cr_arp_d_rvw_ttl?ie=UTF8&ASIN=4594075479

 GHQ側の記録、アイヌ弾圧などなかった (2017/02/09)
 http://fuwameg.blog.fc2.com/blog-entry-1712.html






……日本人は、先住民族を、先住猫・後住猫の感覚で捉えていますが。
海外では違います。弾圧・迫害・虐殺を受けた人々。事件の被害者ですね。

つまり、「我々が先に住んでいた」だけでは、先住民族の要件を満たせない。
新規住民と、穏やかに混交が進む場合もありますから。 例:縄文+渡来=弥生


だからこそ、プロアイヌは「和人に迫害を受けた」とバラ撒く必要に迫られます。
そうしないと、国際社会から「アイヌが先住民族」と認識して貰えないでしょう?





……ということは。裏を返せば、以下の構図が浮かび上がります(↓)


冤罪”を証明できれば、
日本から≪先住民族≫は消滅する。

 
プロアイヌから、“和人を告発する正当性”を奪うと同時に、
連中の不正を告発し、過去と現在から挟み撃ちにすれば好い。




ちなみに。過去から追い詰める側の陣営の花形は、文献史学です。

「言った・言わない」「やった・やらない」の次元の論争ですからね。
近世・近代と、時代が新しくなるほど、当時の記録(証言)は充実します。






……それでは、シャーマンの本の話に戻りますが。

アシリ・レラへのインタビューは、29頁に渡り掲載されています。
一部をご紹介しました。お金が勿体ないので、私は図書館で借りたんです。

価格は2,200円(+岡本税)。著者はベルギー生まれでフランス国籍の女性
1973年から日本在住です。現在、上智大学の名誉教授(フランス語学科)
日本の文化を研究しています。取り分け、スピリチュアリズム的なものを。


私は語学の才が皆無でして。邦訳されたものを、たまに拾うくらいなんです。
海外の詳細な報道内容を知りません。得意な方に担って頂けると助かります。

なお、著者自身に、反日の意図はないと思われます。その点はご了承下さい。




2023/10/01  不破 慈(曾祖母がアイヌ)

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2016年、スイスのジュネーブで開かれた、国連の女子差別撤廃委員会。
当時は在野の杉田水脈議員は、アイヌが海外向けに日本を誣告する現場を目撃
以降、執拗に付け狙われています。委員会でも、攻撃的な態度を取られました。

発言を撤回し、ブログ記事も削除済だったというのに、今回の法務局騒ぎです。
申し立てたのが多原良子、最初に報じたのが道新という時点で、仕込み確定。

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[ 2023/10/01 14:01 ] アイヌ問題 -1.アイヌ・IR利権 | TB(0) | CM(0)

アイヌによる嫌がらせ:杉田水脈議員が法務局から「啓発」

杉田水脈議員が受けた「啓発」は、
「呼びかけ」レベルの、最も軽い措置


 ↓↓↓


※弁護士ドットコムより
法務局が杉田水脈議員に行った「啓発」措置の意味
アイヌ差別投稿「人権侵犯」認定

2023年09月20日 17時56分


 自民党の杉田水脈衆院議員がブログなどでアイヌを差別する投稿を行ったとして、札幌法務局は人権侵犯にあたると認定し「啓発」を行ったと北海道新聞が9月19日、報じた。

 法務省人権擁護局によると、「啓発」は人権侵害の申告があった事案に関して法務局が調査し、必要に応じて講じる措置のうちの一つ。同省ホームページでは「関係者や地域に対し、人権尊重に対する理解を深めるための働きかけを行う」と説明している。

7種類のうちで最も軽い措置

法務省の人権相談は、2004年の訓令「人権侵犯事件調査処理規程」に詳細が定められている。

被害申告を窓口や電話、インターネットで受け付け、必要に応じて職員や人権擁護委員が調査。侵犯事実の有無を判断し、以下の7種類のうち適切な救済措置を講じる。

【援助】関係機関への紹介、法律上の助言等を行う。
【調整】当事者間の関係調整を行う。
【説示・勧告】人権侵害を行った者に対して改善を求める。
【要請】実効的対応ができる者に対し、必要な措置をとるよう求める。
【通告】関係行政機関に情報提供し、措置の発動を求める。
【告発】刑事訴訟法の規定により、告発を行う。
【啓発】事件の関係者や地域に対し、人権尊重に対する理解を深めるための働きかけを行う。(法務省HPより)

反省を促し、善処を求める「説示」や、人権侵犯をやめさせ、繰り返させないために文書で事実を摘示する「勧告」などに比べ、最も軽いと言える。啓発は、人権侵害の事実が認められなかった場合でも出せるが、今回はアイヌの女性の申し立てに応じて、人権侵犯の事実が認定されたと報じられており、一定の救済措置として行われたと考えられる。

杉田議員は2016年、国連会議の参加者についてブログやSNSに「チマ・チョゴリやアイヌの民族衣装のコスプレおばさんまで登場」「同じ空気を吸っているだけでも気分が悪くなる」などと投稿したとされている。

2018〜2022年の法務省統計では、アイヌの人々に関する人権侵犯事件は2022年に「援助」が1件のみとなっている。
https://www.bengo4.com/c_18/n_16524/





※問題視されたという、肝心の写真(↓)

光野智子、糸数慶子、ZouXiaoqiao、阿部千里、多原良子、2016年撮影
※左から、光野智子、糸数慶子、ZouXiaoqiao、阿部千里、多原良子

チョゴリとコスプレ、2016年撮影、国連の女子差別撤廃委、スイス





……朝日新聞の報道で知りましたが。
二枚目の写真に写っているのは、在日コリアンの女性だそうです。
大阪法務局に救済を申し立てたとか。まぁ、関西在住でしょうからね。

札幌法務局に申し立てをした多原良子(おそらくは複数名のうちの代表)は、
上の写真、右端の人物です。札幌アイヌ協会幹部。過去記事でも解説しました。

 【画像】アイヌコスプレおばさん ←子孫の私が思う (2022/12/07)
 http://fuwameg.blog.fc2.com/blog-entry-2300.html




尚、多原良子のことは、さっぽろ雪まつりの
イベント予算を横領した「犯罪者」としても、
既にご記憶の方がいらっしゃるかと存じます。



 アイヌ文化PRイベントの予算8000万は国民の血税 (2020/09/01)
 http://fuwameg.blog.fc2.com/blog-entry-2075.html
 アイヌ協会公費私物化 ~メノコモシモシは横領目的の設立団体 (2020/09/06)
 http://fuwameg.blog.fc2.com/blog-entry-2077.html




2023/09/20  不破 慈(曾祖母がアイヌ)  ※アップ直後、本文末尾修正

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人権侵犯事件、2022年にアイヌ関連で最高位の「援助」があったそうですが。
以下の決議で合っていますか? 法律に詳しい方、助けて下さい(_ _;

 日本弁護士連合会:アイヌ民族の権利の保障を求める決議(2022年9月30日)
 https://www.nichibenren.or.jp/document/civil_liberties/year/2022/2022_4.html

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[ 2023/09/20 21:47 ] アイヌ問題 -1.アイヌ・IR利権 | TB(0) | CM(1)

満州人の祖先:黒水靺鞨 …オホーツク人に非ず

黒水靺鞨 ≠ オホーツク文化人


黒水靺鞨渡来説というものがあります。

アムール川流域から海を渡って来た人々が、
オホーツク文化の担い手になったというもの。

40年ぐらい前までは、有力視されていました。




ですが、両者の間には、類似点より相違点が目立ちます。
何より靺鞨文化においては、製鉄技術が発達していました。

石器と骨角器を用いていたオホーツク文化人なのでしょうか?



新北海道の古代2続縄文・オホーツク文化、北海道新聞社2003  ※引用

 オホーツク文化の住居址は基本的に六角形であるが、靺鞨文化の住居址は正方形である。オホーツク文化の住居址では奥壁部にクマの頭骨を置いてある例がしばしば見出されるが、靺鞨文化の住居址にそのような類例はない。
 (略)
 墓制では両文化とも仰臥屈葬が多いという共通点はあるが、靺鞨文化には一度埋葬した墓を掘り起こして、供養の後に再び埋葬する再葬(または二次葬)の葬法が一般的である。靺鞨文化の墓には埋葬の際に遺体を白樺の樹皮で包み、その上で火を焚いて土をかぶせた被火葬もある。靺鞨文化の墓にはしばしばウマが殉葬されている。
オホーツク文化には再葬や被火葬の例はない。オホーツク文化の墓にウマの殉葬の例はなく、そもそもオホーツク文化の遺跡からウマの骨の出土例もない。

 (略)

 オホーツク文化の生業は主として沿海における漁労と海獣狩猟である。遺跡からはさまざまな種類の魚の骨が出土している。海棲哺乳動物ではアザラシ・オットセイ・アシカ・トド・クジラ・イルカなどの骨が多量に出土している。
 (略)
 靺鞨文化の生業は主として農耕である。遺跡からは炭化したコーリャンや、住居址の床面から出土した土器の内部に焦げたキビが見出された。靺鞨文化の遺跡にブタの骨が多いことは靺鞨が農耕民であったことを示している。

 (略)
また靺鞨文化では製鉄技術が発達しており、鉄器・鉄製品が製作され、石器や骨角器はわずかに見出されるに過ぎない。オホーツク文化の遺跡では製鉄の痕跡は見出されず、石器と骨角器の発達が特徴的である。


新北海道の古代2続縄文・オホーツク文化、p190下
 引用注:「同仁」は、中国側で発掘された遺跡から命名。後に「靺鞨=同仁」と判明。

※新北海道の古代2 続縄文・オホーツク文化(p190-191)
 編著:野村崇・宇田川洋/北海道新聞社2003.7.10
 【引用文・図は、菊池俊彦氏が担当した箇所より】





……両者は交易をしていたので。靺鞨の文化圏で製作された物品が、
同時代の、オホーツク文化人の遺跡から出土することもあります。

ですが。考古学では、動産と不動産を、同じようには扱いません。
土地に刻まれた痕跡(不動産)と違い、動産は持ち込むことができる。

また、交流がある以上、儀礼や慣習を取り入れることも、起こり得ます。



紀元前の大陸で、北方にいた狩猟採集民を「粛慎」と呼びました。
それに倣い、6世紀頃から日本と関わるようになった北方系の
海洋漁撈民を、「粛慎」と呼ぶようになったのですが。

これは、大陸と日本が、交流を持っていたことから発生した事象です。
あくまで、当時の証言として、文献史料に記述が遺されているということ。

対して、考古学は鑑識です。証言に引き摺られていては、判断ミスを犯します。




さてさて、紀元前の粛慎。無論、大陸の北方にいた人々のほうですけれど。
早くに農耕(園耕)を取り入れます。地域毎に、依存度は違ったようですが。

呼び方も、粛慎 ⇒ 挹婁 ⇒ 勿吉 ⇒ 靺鞨 と、時代によって変遷しました。


靺鞨は、隋・唐代の名称です。幾つもの部族に分かれていたそうですが。
後に、渤海を建国する人々や、金・清を建国する人々が登場しました。

特に、金王朝・清王朝を立てた人々が、黒水靺鞨の系譜に連なります。


 黒水靺鞨 ⇒ 女真(女直)⇒ 満州人


新北海道の古代2続縄文・オホーツク文化、p197

※新北海道の古代2 続縄文・オホーツク文化(p197)
 編著:野村崇・宇田川洋/北海道新聞社2003.7.10
 【引用図は、菊池俊彦氏が担当した箇所より】




黒水靺鞨の一部でも、オホーツク文化人……になった可能性は低いでしょう。
靺鞨文化が成立するよりも早く、樺太でオホーツク文化が成立していたので。


 オホーツク文化 : 3世紀~13世紀頃まで ※5~13世紀説あり
 靺 鞨 文 化 : 6世紀後半~8世紀頃まで ※7~10世紀説あり




2023/9/16  不破 慈(曾祖母がアイヌ)

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「黒水」……つまりは、黒竜江(アムール川)のことですね。
「清朝、父祖の地」と云うでしょ? そうやって覚えて下さい(^^)

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[ 2023/09/16 13:09 ] アイヌ問題 -4.DNA・人類学・考古学 | TB(0) | CM(2)

アイヌ時代は小氷期【補稿】年単位での古気候復元

最近は、年単位での
古気候復元が可能です。



中塚武著、気候適応の日本史、図11

※中塚武/気候適応の日本史 人新世をのりこえる視点(p92-93)
  吉川弘文館 歴史文化ライブラリー544/2022.3.1

中塚武、気候適応の日本史、吉川弘文館2022




上図は、古気候学がご専門の、中塚武先生(理学博士)の著書からです。
見開きページをスキャンしたので、見難いとは思いますが、ご了承下さい。

中部日本の森林で、樹木年輪を調査して得られた過去2600年の復元図です。

樹木年輪から、古気候を復元する研究は、海外でも行われて来ました。
ところがですね。日本の学者が、年単位の気温の変化に留まらず、
年単位の降水量の変化まで復元する技法を開発したんです(!)


正確には、植物が最も成長する、夏場の気温&降水量の変化ですけれど。
※年輪の繊維質(セルロース)を構成する成分(酸素や水素)の同位体比から算出



「NIPPON, CHA-CHA-CHA!」と踊り出したい気分を抑えて、記事本題。
以下は、冒頭のグラフの右サイドです(↓) ザッと流れを説明しますね。


中塚武著、気候適応の日本史、図11、右半分
※中塚武/気候適応の日本史 人新世をのりこえる視点(p92)
  吉川弘文館 歴史文化ライブラリー544/2022.3.1





800~1300年頃は中世温暖期です。900~1100年頃は特に暖かかった模様。
1100年前後だと、東北は平泉政権の時代。半ば独立国として存在しました。
北海道は擦文時代です。本州からの入植者も増え、園耕社会が成立します。

 北海道で農耕が行われた擦文時代:中世温暖期 (2023/07/22)
 http://fuwameg.blog.fc2.com/blog-entry-2334.html



ですが、以降は下がり始めますよね? 小氷期に突入したんです。
北海道は、狩猟採集メインの、アイヌ文化の時代を迎えました。


グラフをよく見ると、1200年前後にも一時的に下がっていますが。
この時期、源平合戦が行われましたね。奥州藤原氏も滅亡します。
これにより、本土日本が実質的に統一されました(日本の中世)。

以降は、鎌倉 ⇒ 室町 ⇒ 安土桃山と、戦乱の世が続きます。


1600年、関ヶ原で徳川軍が勝利すると、すぐに江戸時代。
1603年に幕府を開きました。日本の近世が始まるんですね。




……が。再度、グラフでご確認下さい。そこから、“寒さの底”を迎えます。
江戸時代は、飢饉が頻発しましたよね。特に、“三大飢饉”は有名ですけれど。

享保・天明・天保。うち、享保の飢饉(1732)は蝗害(イナゴ・ウンカ)。
西日本で大凶作となりました。天明・天保は冷害で、東北で甚大な被害


※下図の最上部でご確認下さい(↓)
中塚武著、気候適応の日本史、図15
※中塚武/気候適応の日本史 人新世をのりこえる視点(p150)
  吉川弘文館 歴史文化ライブラリー544/2022.3.1




天明の飢饉(1782-1787)
 各藩の記録によれば、天明の飢饉による東北北部の餓死者数は、弘前藩で10万2000人、八戸藩で3万105人、盛岡藩で4万850人とあり、仙台藩では餓死と疫病死を合わせて20万人以上であった。 [p235]

天保の飢饉(1833-1839)
 農作物の不作が連続して発生し、作柄をみると全国平均で、1833年が52.5%、1835年は57.2%、1836年が42.4%とおよそ半分に減少しており、奥州ではそれぞれ35%、47.2%、28%と大凶作となった。冷害は1838年まで続き、餓死者が大量に発生した。弘前藩では餓死(7万4860人)と疫病死(2万6000人)により、藩内人口の半分が死亡した。 [p242]


※田家康/気候文明史 世界を変えた8万年の攻防(p235,242)
 日本経済新聞出版社/2010.2.19 [漢数字⇒アラビア数字]

田家康、気候文明史、日本経済新聞出版社2010




……天明・天保と、北海道に近い東北での様子を、
気象予報士の田家康先生の著書からご紹介しましたが。
上記の通り、冷害の影響は、寒い北日本で、より甚大でした。

そんな時代に、狩猟採集民のアイヌが、北海道で農耕……???


否、チャレンジ精神は否定しません。事実、初歩的な園耕は行っていました。
もっと、レベルの高いことをしてみたかったのかも。和人のようになりたくて。


 アイヌ女性の畑仕事:園耕のお話 (2022/10/29)
 http://fuwameg.blog.fc2.com/blog-entry-2293.html
 アイヌ時代は小氷期:松前藩の禁農モデルについて (2023/08/19)
 http://fuwameg.blog.fc2.com/blog-entry-2336.html




2023/9/3  不破 慈(曾祖母がアイヌ)

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園耕民(狩猟+農耕)の強みは、いつでも農耕を切り捨てられる点にあります。
時々の気候条件に合わせて、狩猟採集オンリーの生活に、後戻りが可能なんです。

完全な農耕社会に移行すると、それが出来ません。餓死者が増える理由の一つです。



 名古屋大学大学院環境学研究科 地球環境科学専攻大気水圏科学系
  古気候学グループのサイト ⇒ https://pcl.has.env.nagoya-u.ac.jp

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[ 2023/09/03 14:55 ] アイヌ問題 -4.DNA・人類学・考古学 | TB(0) | CM(0)

アイヌ時代は小氷期:松前藩の禁農モデルについて

松前藩による「禁農モデル」という学説があります。
単純に、アイヌに農業を禁止したという主張ではなく。



アイヌが農業に挑戦するのを
禁止した、という内容です(ー。ー;





禁農モデル  深澤(1995)
アイヌ社会においての農耕文化は擦文文化期以後アイヌ社会内の欲求により常に進展していたと考えられるにもかかわらず、「意図的なイデオロギー」によってその動きが禁止されるという、人為的行為によって阻害された結果、実践的な折衝としてアイヌ社会内で再生産され、その現象が変容した文化的要素として認められるようになったと考える。これを禁農モデルと呼ぶ。[p11より]


 擦文からアイヌ ―農耕の縮小― 総合地球環境学研究所
  東北大学大学院 国際環境研究科 深澤百合子

 https://www.chikyu.ac.jp/neo-map/file/fukasawa-01.pdf




……詳細は、上記リンク先でご確認頂きたいのですが(↑)

要は、アイヌが農業をやりたがっているのに松前藩は認めなかった
苦労して手に入れた種子も取り上げられ、農具さえも渡して貰えない。
彼等のチャレンジ精神を流言飛語まで用いて潰した、といった内容です。

 ↓↓↓


1786(天明6)年 佐藤玄六朗の報告
『蝦夷地之儀是迄見分仕候趣申上候書付』

「古来より蝦夷地において穀類を作立候儀は法度の様に相成り」
「先年イシカリと申候所の川上にて、稲を作り相応に出来在候処其段松前え相聞、領主役人より申付候哉、又は商人共の仕業の候哉、籾、種子迄残らず取り上、右作仕候蝦夷ともえは、ツクナイを出す為候由の風聞等之有り」[p12より]
https://www.chikyu.ac.jp/neo-map/file/fukasawa-01.pdf




……さて、困りました。当時、気候はどんどん寒冷化していったので。
耕作地の縮小については、考古学&古気候学での反論も可能です。
※アイヌも初歩的な農耕(園耕)なら行っていました。


 中世温暖期(擦文)⇒ 小氷期(中世アイヌ → 近世アイヌ)



でも、「言った・言わない」「やった・やらない」の次元になると……?


事件の捜査に喩えますが。考古学や古気候学は、“鑑識”の役回りです。
一方の文献史学は、“当時の証言”について取り扱う分野なんですよ。

でも、私。文献史学は、ダメダメなんです(―。―;


そんなワケで、文献史学が得意な方に、ご協力をお願いしたいのです。
被告人席で、一方的に弾劾される松前藩の“弁護”を担って頂きたく。





とは云え、全くの丸投げも無責任と思います。
そこで、私なりに仮説を一件、立ててみました。


アイヌと松前藩は、交易を行っていましたが。

米などの農産物が、松前藩側の主要な交易品なら、
種子や苗、農法(道具・技術)の漏洩を防ぐのでは?




現代でも、隣国の無断栽培が問題視されていますが。
それと同じですよ。アイヌが和人の技術を欲したなら、
交渉の上、相応の対価を支払い、指導を仰ぐ必要がある。

勿論、当時のアイヌに、そんな道理は理解できません。
読み書き算盤、一切できなかった人達なんですから。

他の、もっと単純な理由だったかも知れませんが。




以上、文献史学のみならず、商取引に詳しい方の助力も必要です。

「松前藩の方針で」「農業を教えることを禁じている」とあったので。
和人から教わらない限り、アイヌに農業が無理だったことは理解できました。

 ↓↓↓


1857(安政4)年 『石狩日誌』
松浦武四郎
(1973年丸山道子訳)

「家のそばにはムニノカン(狸豆)、マーメ(いんげん豆)、ムンシロ(粟)、リテアママ(もち粟)、ヒヤハ(稗)などを作っているが、こういう農作業は女の仕事とされている。かれらはまだ鍬を持っていないので、まさかりの側面に木の柄をとりつけて鍬の代わりに使っているが、これは松前藩の方針で、かれらに農業を教えることを禁じているので、運上屋もアイヌには鍬を渡さないためである」[p13より]
https://www.chikyu.ac.jp/neo-map/file/fukasawa-01.pdf



2023/8/19  不破 慈(曾祖母がアイヌ) ※アップ当日、引用文二箇所追加&タイトル修正

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樺太では、「農耕をやると病気になる」といった噂が流れていたそうですが。
米先住民にも、母なる大地に爪や牙を立てることを忌避する部族がいました。
一種の信仰ですね。それが迷信であろうと、狩猟採集民の世界観としてある。

[タグ未指定]
[ 2023/08/19 13:04 ] アイヌ問題 -4.DNA・人類学・考古学 | TB(0) | CM(0)
ふわふわでぇす!

ふわふわ

Author:ふわふわ
不破 慈(ふわめぐみ)

アスペルガー症候群(軽度の自閉症スペクトラム/神経発生発達障害の一系統)です。もともとは個人的なブログ(主に当事者研究やエッセイ発表の場)でした。

協会の不正を告発する砂澤陣さんの活動を知り、亡くなった父が、私をアイヌどころか北海道とも無関係に育てた理由が解りました。

父方の祖母は陸奥源氏、福島の母方は東北の蝦夷(安倍氏)。私自身は神奈川県横浜市で生まれ育ちました。


※最も解りやすいアイヌ問題
   ↓↓↓


 ◆アイヌ狂歌シリーズ


◆先住民族とは
◆在ヌ論について
◆北方領土について

◆強姦説について
◆的場光昭について
◆チャンネル桜について

◆古谷経衡について
◆篠原常一郎について
◆小林よしのりについて①
◆小林よしのりについて②


◆杉田水脈議員の発言

◆禁鉄モデルについて
◆禁農モデルについて

◆アイヌの盗作活動


 サイト上部、横並び6件
 記事も宜しくお願いします。



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