和人・擦文人・オホーツク人の三者を母体に
13世紀以降に誕生したのが、所謂アイヌ。基礎的な知識のおさらいです。
拙宅に以前からお越しの方には、既出の内容ばかりかと。
先ず、世間に蔓延っている大前提が間違っております。
アイヌは列島の北に追いやられた縄文直系の子孫ではなく。
樺太や千島列島を経由したシベリアからの流入を受け、
13世紀以降に成立した地域集団(部族社会)です。
ただ、シベリアからのオホーツク文化人の流入は、
5世紀頃から始まっていました。道内で遺跡が出て来ます。
その頃、北海道は擦文文化時代。本土日本では古墳時代ですね。
道南では擦文人と和人が交流。その三系統が後のアイヌの土台です。
※縄文 ⇒ 続縄文 ⇒ 擦文(道の歴史区分)つまり、列島の西、九州地方で起きていたことと同じなんですよ。
対馬ルートを通じて、かつて大陸・半島から渡来して来た人々がいた。
こちらは先史時代・歴史時代を通じて、規模も大きく、中央から近かった。
北海道では規模も小さく、中央から離れていた為、独特の文化形成に向かった。
別に、渡来した人々が先住の縄文人を駆逐したとか、
そんな単純な話じゃないじゃないですか。列島の北でも西でも、
縄文をベースに、渡来した人々と混交して、日本人が形成されたんです。
地域毎に、その濃淡はあったとしても、ですよ?
ちなみに沖縄は、11世紀のグスク時代までに、少しずつ、
九州から農耕民が渡って行ったのでは、と考えられています。
……北と南に分断された、ってヘンじゃない……?(゜。゜;
最近では、協会の御用学者が、九州の地名もアイヌ語由来とか言い出して。
つまり彼等は、九州もかつてはアイヌの土地だった、と言いたいんですけど。
だから「北海道の」じゃなくて、「日本の先住民族」って叫んでますでしょ?
でですね、通説の「北に追いやられた縄文直系の子孫がアイヌ」って、
元々は史学者の勘違いに由来します。私の母方(東北の蝦夷)と
北海道(蝦夷地)のアイヌが、混同されているんですよ。
何しろ、
戦前は奥州藤原氏まで、アイヌ民族とする学説が存在したくらい。
昭和25年に、中尊寺金色堂のミイラが科学調査され、完全に覆りましたが。
そして皆さん、コレをしっかり覚えて行って下さい。
去年の地震で大きな被害が出た地域、
北海道・胆振地方。
そこの
白老を、アイヌは自治区として要求しているんですが。
同じく
胆振の厚真町では、奥州藤原時代の遺物が見付かっています。
時は12世紀、アイヌが登場する100年も前の品です。
12世紀・道南は奥州藤原氏の勢力圏 (2016/05/25) http://fuwameg.blog.fc2.com/blog-entry-1643.html2019/02/10 不破 慈(曾祖母はアイヌ)
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今はもう先住民族認定決議がとうに済んじゃってるから
どこも敢えて話題に乗せて無いんだろうけど
前から掲示板やあちこちのコメ欄覗くと
アイヌ協会に朝鮮人が混ざってるって話で終わってしまってることが多くて残念
慰安婦問題と同じで国会やら官房長官が嘘を真実扱いしてしまうと
常識化してしまって困るしネットで事実が広まっても政治家は訂正したがらない
けど、
日本人は本土人まで含めてみんな平等に先住民族縄文人の子孫として尊重されるべきだ
アイヌや琉球人だけでなく日本人全員ね
でも半島縄文人の子孫やらシベリアに縄文近縁古代人の子孫が居たとしてそこまでは日本は知らん、そういう線引きが広く共有される未来を願う