もののけ姫のアシタカは
アテルイの末裔 (という設定)宮崎駿監督の大作「もののけ姫」の主人公、
アシタカは、「
アテルイの末裔である」との設定です。
※一部引用本名は「アシタカヒコ」。名前の由来は恐らく日本に実在する名字「足高」。
蝦夷(エミシ)の末裔の住む隠れ里の住人であった。年齢は17歳(設定資料より)。
(略)エミシ(蝦夷)を宮崎駿は、大和政権とその支配下に入った稲作農耕民から追われて本州北部の山中に隠れ住んだ、焼畑・狩猟・採集・工芸を生業とする原日本人の残党と解釈しており、
アシタカをアテルイの末裔としている。
※ピクシブ百科事典、アシタカの項目よりhttps://dic.pixiv.net/a/%E3%82%A2%E3%82%B7%E3%82%BF%E3%82%AB……あれれ? でも現代アイヌ民族とやらは、
アテルイ慰霊祭なるものを催していませんでした?
と云うことは、アシタカ=アイヌ民族なの?
映画の何処にも、そんな描写はありませんでしたが。
勿論、アシタカとアイヌ、と云うより、
アテルイとアイヌが無関係です。
※一部引用アテルイ = アイヌ民族説アテルイは8世紀末から9世紀初頭にかけて活躍した陸奥国(現在の青森県、岩手県、宮城県、福島県、秋田県北東部)のうち、「水陸万頃(すいりくばんけい)」と呼ばれた胆沢の蝦夷と考えられている。一方、北海道で
アイヌ文化が成立したのは12世紀から13世紀ごろといわれる。
考古学や言語学からみても
1.アイヌ語地名の「ナイ」、「ベツ」の分布は、「盛岡以北に多く、胆沢地域はまばらである」こと
2.北海道の後北式土器についても「水沢市内では石田遺跡から二片発見されているのみで、同時期の土師器の多量な出土にくらべ問題にならない」こと
3.「縄文前期~中期(六千~四千年前)岩手県北から北海道渡島半島にかけて同筒下層、上層式土器群が展開したが、胆沢地域は大木式土器群が展開し、全く異なる文化圏を形成している」こと
などから後期旧石器時代以降、縄文時代早期の一時期を除いて北海道文化圏と胆沢文化圏が同一であったという根拠がない。
つまり
アテルイがアイヌ民族であったという根拠は何一つない。
※ピクシブ百科事典、アテルイの項目よりhttps://dic.pixiv.net/a/%E3%82%A2%E3%83%86%E3%83%AB%E3%82%A4※上記記述の元となった(であろう)サイト様はこちらです。アテルイを顕彰する会 http://aterui8.jp/情報20 「アイヌ民族のアテルイ慰霊祭に疑問」(2012年12月10日付) http://aterui8.jp/history/info/aterui_info027.html
……実は私、福島の
母方からは東北の蝦夷の血を引いておりまして。
父方と母方が切り貼り編集されていて、ビックリしたのですけれど。
コレを、よくある祖先論争と片付けてはいけません。
だって、アテルイをアイヌの先祖と主張することは、
「アイヌは東北の先住民族」と主張することと同義なんです。実際、現代アイヌは岩手県一関市内で祭祀を行っています。
縄文の聖地に、アイヌの儀式を復活させるとか何とか言って。縄文の聖地でアイヌ儀式 一関・祭畤地区の有志が復活 万物に宿る神と先祖に感謝をささげるアイヌ民族の儀式「カムイノミ」が8日夜、「縄文の聖地」の一つとされる
一関市厳美町の祭畤(まつるべ)地区で執り行われた。
縄文ゆかりの地にアイヌの儀式を復活させようと有志でつくる実行委員会が昨年から始めた「焔祀(ほのおまつ)り」の一環で、今年は約30人が来場した。
アイヌの長老で東京アイヌ協会名誉会長の浦川治造さん(80)=千葉県木更津市=が、神を表すヤナギの神木「イナウ」を祭壇に立て、祈りの言葉を唱えた。
アイヌの最高神とされる火の神をたたえ、お神酒を薪の火に献上した浦川さんは「先祖を敬う気持ちを感じてほしい」と話した。
地元の祭畤山(990メートル)頂上付近には巨石の石積みがあり、歴史研究家の間では縄文遺跡の「まつりば」が転じて「祭畤」になったとされている。
今井久喜実行委員長は「祭畤は縄文文化の聖地でありながら、価値が一般に浸透していない。アイヌと縄文の出会いの場として地元の協力で儀式を続けていきたい」と語った。
河北新法 2018.08.16(木)
https://www.kahoku.co.jp/tohokunews/201808/20180816_33026.html……皆さん、不思議に思いませんでした?
何故、アイヌは「
日本の先住民族」と名乗りたがるの?
ついには法律の条文にまで書き込ませました。アイヌ新法ですね。
彼等は、列島全域がアイヌの土地だったと、
日本国の歴史を書き換えたいんです。2020/07/14 不破 慈(曾祖母はアイヌ)
※2021/9/21、冒頭一部削除