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二番目の山羊 ~アイヌは先住民族に非ず

2008年の先住民決議は騙し討ち。2019年のアイヌ新法も不当です。 ※現在は、ツイアカもFBアカも持っていません。 【 pixiv:5770560 】

東北の安倍:奈良時代に下賜された臣姓

東北には、阿部・安倍といった苗字が多いです。

奈良時代の後半以降に下賜された臣姓で、
その頃は大抵、「阿倍」と書いていました。


平安期には、安倍清明で知られるように安倍表記が、
江戸になる頃には、阿部表記が主流だったようです。




……先に安倍清明(10世紀)を挙げましたが、こちらは中央の安倍。
中央の安倍の歴史は古く、後世は陰陽道に生きるようになりましたが、
継体天皇の時代以降、急速に力をつけた氏族であると見られています。

7世紀には将軍・阿倍比羅夫、8世紀には歌人で有名な阿倍仲麻呂。
百人一首の札には、安倍仲麿と書かれていることが多いようですね。

 ~あまの原 ふりさけ見れば 春日なる 御蓋の山に いでし月かも~



そして、少し遅れて、奈良時代の後半~平安初期にかけて、
在地の土豪(東北の蝦夷)に対し、阿倍臣姓が下賜されました。

安倍(あべ) ※漢数字→アラビア数字
 大彦命後裔の中央豪族阿倍(安倍)氏に対し、奈良朝後期以降、賜姓によって阿倍(安倍)のウジを名のった陸奥の在地土豪。賜姓の対象となったのは、白河・磐城・磐瀬・安積・標葉・会津・信夫・伊具・柴田・色麻・賀美の陸奥南半諸郡の郡領級有力者で、賜姓は神護景雲三年(769)、宝亀三年(772)、承和七年(840)、同十一年、同十五年、貞観十二年(870)の6度にわたり、阿倍陸奥臣・阿倍安積臣・阿倍信夫臣・安倍柴田臣・阿倍会津臣・阿倍磐城臣の復姓が与えられている。旧氏姓は丈部・大田部・矢田部・丈部臣・丈部直・陸奥・陸奥臣・陸奥標葉臣・奈須直・磐城臣で、丈部がもっとも多く、初期の賜姓は部姓者に限定される。復姓下半部の氏名は、居住地に因むものが少なくない。
※日本古代史族事典(p30)雄山閣出版より、項目の一部を引用



先日、凶弾に倒れた安倍晋三元首相は、
東北の阿倍(安倍)の系譜に連なります。


源氏と安倍氏が激突した前九年の役(1051~62)
敗軍の将である安倍宗任は、大宰府へ流されました。

http://fuwameg.blog.fc2.com/blog-entry-1643.html#more



……一頃、「安倍は朝鮮人」という陰謀論(?)が流行りました。
彼等によると、「安」の字が入ってさえいれば、朝鮮人なのだそうで。

拙宅で何度も説明した内容ですが、昨今の吹聴を鑑み、アップします。




2022/07/23  不破 慈(曾祖母はアイヌ)

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※「アベの語源はアイヌ語のアフィ」との説がありますが、こちらもデマ。

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[ 2022/07/23 13:19 ] アイヌ問題 -3.東北・蝦夷(母方) | TB(0) | CM(0)

南樺太:続縄文からオホーツク文化へ

嘗ては、南樺太も続縄文文化圏でした。

特にアニワ文化は、続縄文の一地方形だと
日露双方の専門家に広く認識されています。




※論文の内容の要旨(福田正宏氏)
極東ロシアから北日本における先史土器の研究
 ―紀元前1千年紀のアムール下流域
   ~北海道における土器型式群の系統論的考察―


※途中から抜粋、改行を加えました
3.サハリン新石器文化の土器型式間交渉
 新石器時代のサハリン南部には南サハリン・アニワ・鈴谷文化がある。南サハリン文化の宗仁式は道東の縄文早期の型式と関係するとされたが不確実で,アニワ式は宗谷海峡周辺の続縄文期の型式である。サハリン北部には櫛歯ジグザグ文土器をともなうイムチン文化,櫛歯文・櫛描文・型押文土器のある北サハリン文化があった。
(略)
新石器時代のサハリン南北では,土器型式の変遷が通時的に大きく異なった可能性が高い。アニワ式の一部もしくはその次に成立した南部の縄線文土器と北サハリン文化の櫛歯文土器が,旧国境線あたりで接触して櫛歯文・縄線文をもつ鈴谷式が成立したのなら,この段階で南北の対置的な文化配置が崩れたと考えられる。

※福田正宏氏(現・東大准教授)の学位論文要旨、全文(↓)
http://gakui.dl.itc.u-tokyo.ac.jp/data/h17/216438/216438a.pdf




……「旧国境線あたりで接触して」「鈴谷式が成立したのなら」とあります。
引用文から判るように、鈴谷式土器(文化)は、南北の特長を併せ持ちます。

続縄文の一型式orオホーツクの一型式かで、専門家の見解が分かれており、
それが原因で、オホーツク文化の成立も、5世紀or3世紀で分かれます。

 ①鈴谷式が続縄文系なら、オホーツク文化成立は5世紀頃
 ②鈴谷式がオホーツク系なら、オホーツク文化成立は3世紀頃


何れにしろ、北方(北樺太)要素の強まった鈴谷文化は、
宗谷海峡を越えて、3世紀頃には道北にも南下してきました。
続縄文の一型式である、アニワ文化の後を受けて拡がったんです。

もともと、北海道と樺太には、旧石器時代から交流がありました。
縄文土器だって出て来ます。対岸の南樺太から。ただ、数は少なくて。
あくまで客体としての出土なので、縄文文化圏としては扱われませんが。

続縄文時代には、南樺太のみならず、中千島辺りまで進出したようです。

単純に、現地の人々が土器型式を受け入れたと考えることも出来ますが。
恐らくは、人の移動を伴ったでしょう。混交も進んだと思いますよ。
北上するに連れ、血(縄文要素)は薄まったでしょうけれど。



続縄文時代とは、単純な縄文文化の継続ではありません。

もともと、北海道縄文人は魚介・海獣に依存する食生活でしたが。
続縄文時代になると、更に漁撈採集へと特化していくんですよ。

ここに、オホーツク圏の海洋民との親和性が見られます。

樺太~北海道北部~千島列島の、環オホーツク海南岸一帯が、
後にオホーツク文化人と呼ばれることになる人々の縄張りでした。




2022/07/03  不破 慈(曾祖母はアイヌ)  ※タイトル一部修正(7/6)

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現在、「北海道にも弥生時代があった」との主張が散見されます。
確かに、土器型式で見れば、恵山式(渡島~石狩)は弥生系土器ですが。
問われるのは主たる生業です。水稲水田耕作の導入を以って弥生時代です。

※前4世紀、本州北端でも稲作が行われますが、すぐ放棄されました。
 北東北も暫くの間、南樺太~北海道~千島と同様、続縄文文化圏でした。

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[ 2022/07/03 11:24 ] アイヌ問題 -4.人類学、DNA | TB(0) | CM(0)

北の元寇:樺太から追われたのはアイヌだったか?

13世紀末、元軍の侵攻を受け、
樺太からオホーツク文化人が南下。


宮脇淳子著、世界史のなかの蒙古襲来 扶桑社20190630  ※抜粋(漢数字⇒アラビア数字、[]内はルビ)

 1284年に、元軍は樺太遠征も行いました。これは、その前年に、アムール河下流から樺太に住んでいた吉里迷[ギレミ](ギリヤーク族、今はニブフと呼ばれる)が、モンゴル建国の功臣ムカリ(国王と呼ばれる)の子孫シデの遠征により、モンゴルに服従したことによります。元の家来になっていた樺太の吉里迷が、骨嵬[クイ](アイヌ族)が毎年侵入してくると訴えたので、それを追い払うための遠征でした。
 1284年から86年、元は征東招討司に骨嵬攻撃を命令し、85年には1万人、86年には「兵万人・舟千艘」で功撃しましたが、これはアイヌによる黒竜江流域への侵入を排除するためで、この84~86年の攻撃により、アイヌ勢は樺太からほぼ排除されてしまいます。そうして元は樺太南端に果夥[クオフオ]城を設けたのです。
※世界史のなかの蒙古襲来(p232-233)/宮脇淳子/扶桑社2019.6.30




……史学界を中心に、骨嵬[クイ]≒アイヌと考えられていますが、
オホーツク文化人の間違いです。アイヌ御用学者による弊害もあるかと。

オホーツク文化人は、5世紀頃から樺太を中心に栄え、
13世紀には、忽然と姿を消してしまった人達です。



文言(名称)に囚われなければ、史実にピッタリと当て嵌まるでしょう?

或いは、ギレミにクイ、双方がオホーツク文化人だったのかも知れません。
つまり、部族間抗争に、北方のギレミが元軍を介入させた、ということ。

その場合は、ギレミによって、オホーツク文化が存続される筈ですが。
樺太北部には、金王朝の代から支配が及んでいたとする見方もあり、
オホーツク文化人としてのギレミは、既に変容していたのかも?



さて。話を、難民化したオホーツク文化人に戻します。
彼等の南下は、13世紀が初めてではありません。
3段階で考えると解りやすいでしょう。

 ①阿倍比羅夫と戦闘 ⇒ 持統天皇の御代に朝貢(7世紀)
 ②道東域のオホーツク人が擦文化 ⇒ トビニタイ文化(9・10世紀~)
 ③北の元寇で難民に。北海道に流入 ⇒ アイヌ文化(13・14世紀~)


……②について補足します。道東域のオホーツク文化人はですね、
以前から擦文文化人との同化が進んでいました。トビニタイ文化です。
知床半島の羅臼町・飛仁帯で遺跡が発見されたことから、こう呼ばれます。

実は、1960年に遺跡が発見されるまで、研究者は頭を悩ませていたんです。
北海道の歴史が繋がらなくて。擦文⇒アイヌだと文化的隔絶が大き過ぎる。

それが、トビニタイ文化(9・10世紀~)の発見により、解消されました。
擦文とオホーツク、両者を足して2で割ったような文化・生活様式なんです。



それでも、以下のように主張する人々がいるでしょう(↓)
「オホーツク人は不法侵入者。擦文人を駆逐して居座ったのがアイヌ」

……残念ながら、オホーツク文化単独でも、アイヌ文化に繋がりません。

オホーツク文化人は海洋民で、少なくとも3種の舟を使い分け、
居住域は海岸部に限定されました
。最も内陸の遺跡ですら、
現在の海岸から、1kmの距離にあるくらいなんです。


オホーツクと擦文は、確実に融合しました。




2022/06/26  不破 慈(曾祖母はアイヌ)

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オホーツク文化の遺跡としては、網走川河口のモヨロ貝塚が有名ですが。
奥尻島でも、6~7世紀頃の遺構が見付かっています。青苗砂丘遺跡です。

※阿倍比羅夫との戦闘&持統朝への朝貢については、過去記事をどうぞ(↓)
 アイヌとして成立する500年前から天皇の臣下 (2020/08/01)
 http://fuwameg.blog.fc2.com/blog-entry-2070.html

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[ 2022/06/26 11:29 ] アイヌ問題 -4.人類学、DNA | TB(0) | CM(4)

アイヌの墓の写真&イギリスの解剖学殺人

コレもお蔵入りしていた記事です。7ヶ月前に書いたもの(↓)


アイヌの墓です(↓)

河野本道著、アイヌ史概説、カラー口絵より、北方新書




……河野本道先生の、「アイヌ史/概説」(北方新書1996.1.20)に
載っている、カラー口絵からです。墓と云うか、正確には墓標の写真

河野本道先生ご自身が、1966年に撮影なさったものだそうです。
場所は、北海道の静内町。今は合併して新ひだか町になっています。


墓標に引っ掛けられている壊れた木製品は、ゴミじゃないです(←)
副葬品なんですよ。木桶と、漆塗り製の行基だそうですが。

こうやって、日用品を壊して、死者の霊と共に、
あの世に送るんです。「ものおくり」ってヤツですね。



……で。アイヌ系子孫の一人である私から、
正直な感想を述べさせて頂きます。


うち棄てられた墓地かと思った。



ですので、手違いで掘り起こしてしまうようなことも、
あったと思うんです。管理者(?)がいたと気付かないで。

それでも、最近の墓まで掘り起こされては困りますが。
墓標が新しければ、流石に判断できると思いますし。




ちなみに、海外では「解剖学殺人」まで起きていました。

19世紀の大英帝国。近代医学の発展に伴い、
解剖研究用の死体が、大量に必要になったんです。

墓から盗み出して、研究機関に売り付ける例が続発。
1828年には、新鮮な死体を手に入れる目的で、
16人が殺害される事件まで起きました。

……イギリス本国内での話ですよ?



補足すると、ヨーロッパ圏(キリスト教文化圏)には、
聖遺物の伝統があり、死体に関する意識が違うんですよね。

勿論、被害者(遺族)は激怒しました。当たり前ですけれど。
取締りが厳しくなると、死体商人(!)は文字通り、海を渡った。

イギリス本国内でも、これだけの暴挙を行った人々です。
植民地においては、なんて、説明するまでもないでしょう。




2022/06/19  不破 慈(曾祖母はアイヌ)

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アイヌ遺骨問題 ~先祖の墓を金に換える (2020/11/12)
http://fuwameg.blog.fc2.com/blog-entry-2094.html
アイヌ人骨収集、本当に「学問の暴力」だったか? (2021/11/12)
http://fuwameg.blog.fc2.com/blog-entry-2205.html

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[ 2022/06/19 12:40 ] アイヌ問題 -2.北海道・アイヌ | TB(0) | CM(2)

近世アイヌは土器を使わない:和人社会から鉄鍋を入手

アイヌは土器を使わなくなりました。
和人と交易し、鉄鍋を入手できたので。



東京大学大学院人文社会系研究科・文学部 2008年度
北海道における鉄文化の考古学的研究
-鉄ならびに鉄器の生産と普及を中心として- 笹田 朋孝


※途中から抜粋
擦文文化後期(11世紀ごろ)に鉄器の出土率ならびに一軒当たりの鉄器数が増加する。青森では9世紀後半に鉄器生産の急増に伴い、鉄器の出土も急増している。青森と擦文文化の鉄器の増加には1世紀以上のタイムラグがあるが、基本的には北海道の鉄は青森をはじめとする北奥と関連しながら変遷を辿る
(略)
第Ⅵ章では、アイヌ文化期の鉄器の普及とその交易を論じた。現時点では12~14世紀前半の鉄の様相は明らかではない。14世紀後半以降、鉄器組成に鉄鍋や刀が加わり、鉄器の出土率や出土数が急増する
(略)
アイヌ文化期では擦文文化期の少なくとも数倍以上の鉄器が出土している。
(略)

※笹田朋孝氏(現・愛媛大学准教授)の論文概要、全文(↓)
https://www.l.u-tokyo.ac.jp/postgraduate/database/2008/624.html




……本州以南(和人社会)から鉄鍋を入手できるなら、
わざわざ土器なんて作りませんよね。重いし。落とせば割れるし。

さて。ここで、もう一件。鉄鍋の普及に関し、参考になりそうなお話を。
岩手県奥州市水沢羽田町にある、及源鋳造株式会社様のHPからです。
えさし郷土文化館の学芸員・野坂晃平さんが寄せられた文章(↓)

鉄鍋の登場 ※抜粋、改行を加えました。

 水沢玉(たま)貫(ぬき)遺跡から出土した鉄鍋は、吊り下げるための耳が口(こう)縁部(えんぶ)の内側に取り付けられているのが大きな特徴であることから「内耳鉄鍋」と呼ばれる。耳は向かい合うように2箇所に付く縦耳となっている。
(略)
 内耳の鍋は東海や関東甲信地方から多く出土しているが、そのほとんどが“土製”である。一方で内耳鉄鍋は北海道の近世の遺跡に多い。
東北地方北部では、平泉、水沢、陸前高田、一戸、横手などから良好な内耳鉄鍋が出土しており、年代も11~12世紀頃のものと推定されていることから、その歴史が平安時代後期にまでさかのぼることを示している。


ただし出土例は極めて少なく、この頃に鉄鍋が一般の集落にまで広く普及していたとは考えにくい。
※野坂晃平氏による全文⇒ https://oigen.jp/enjoy/localculture/12414/




……平安後期、11~12世紀ということは、奥州藤原氏の時代。
鉄鍋の所有は、富裕層に限られたとは云え、北奥は先進地域でした。

実は12世紀以降、オホーツク文化圏でも内耳土器が盛んに作られます。
アイヌ文化成立は13世紀以降ですが、初期の頃は使っていたんですよ?

千島~カムチャツカ南部では、18~19世紀まで内耳土器が使われます。
和人社会との繋がりが深い北海道では、早くに鉄鍋が普及したんですね。




2022/06/05  不破 慈(曾祖母はアイヌ)

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12世紀・道南は奥州藤原氏の勢力圏 (2016/05/25)
http://fuwameg.blog.fc2.com/blog-entry-1643.html

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[ 2022/06/05 13:58 ] アイヌ問題 -4.人類学、DNA | TB(0) | CM(0)

日本文明:世界で唯一、王朝・国家と一体の文明圏

英語の「civilization(文明)」の「civil」。

辞書で調べると形容詞で、「市民の・公民の」
国家の・国内の」といった意味があります。





古代ギリシャの都市国家(ポリス)が、解りやすいでしょうか。
アテネ(最盛期の人口3万人)やスパルタ(最盛期1万人)。
標準的なポリスだと、人口は5000人くらいと見られます。

ポリス同士は、互いの国益を巡って激しく戦争もしますが、
外敵に対しては一致団結。文化圏としての強い絆がありました。

この都市国家同士が繋がり、やがて領域国家へと拡大していきます。


国際政治学者のサミュエル・ハンチントンが、著書『文明の衝突』で、
日本文明はAD100~400年頃に中華文明から独立して成立と定義しました。

2世紀後半の倭国大乱は、ポリス(都市国家)同士の争いにも見えますし、
列島内でクニ同士が結束し、古墳初期にヤマト政権へと収斂されていく様を、
領域国家の成立と捉えたのではないかと。唯一現存する古代国家でもあります。



……ここで忘れてはいけないことが。日本の国体とは、天皇です。
実際、ヤマト政権(当時、天皇号はなく大王)の許に結集する形で、
日本は、都市国家 ⇒ 連合国家 ⇒ 領域国家へとステップアップした。

意外なことに、北端のアイヌとて例外ではないんですよ。
アイヌの祖先(の一系統)となったオホーツク文化人の一派は、
7世紀末、持統天皇の御代に、臣下として朝貢に参じているのです。

持統天皇十(西暦696)年、渡嶋蝦夷と粛慎に賜物  ※錦・絹・斧など
 さて、「渡嶋蝦夷」と目にすれば、道南西部の渡島(おしま)半島を思い浮かべる方が多いでしょう。ただ、読みは「渡嶋(わたりのしま)蝦夷」です。単純に北海道というよりも、津軽半島北部~海峡付近に勢力を持っ...
アイヌは、アイヌとして成立する500年前から天皇の臣下(2020/08/01)





……「中華文明から独立した」と言われてしまうのは、仕方ないですね。
実際、大陸の皇帝に朝貢し、金印まで授かるクニが、一部にはありました。

ですが、当時の指導者達は、列島内(天皇の許)での結束を選びます。
そこが、中華文明圏内に留まった朝鮮半島の国々との、明確な違いです。




2022/05/29  不破 慈(曾祖母はアイヌ)  ※AC⇒ADに修整(6/30)

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磨製石器土器の出現を以って、文明の成立と解釈する方々がいますが。
両者は長らく、1万1000年前に始まる新石器時代を特徴づけてきました。

日本の縄文時代が、従来の新石器時代の枠組みに入らないのは、事実です。
かといって、いきなり「文明」に昇格させると、世界中、文明だらけになる。
最古といわれるメソポタミア文明ですら、5500年程前に遡るだけだったのに。

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[ 2022/05/29 13:53 ] アイヌ問題 -4.人類学、DNA | TB(0) | CM(0)

世界最古級の土器、東北アジア全域に点在

東北アジアは土器の出現が早かった。
藤尾慎一郎著、日本の先史時代p42より、中公新書2654/原図:佐藤宏之著、旧石器時代、敬文社

東北アジアにおける土器の出現  ※漢数字⇒アラビア数字

 実は、日本を含む東北アジアは、世界でもっとも早く土器が出現した地域であることがわかってきている(佐藤宏之『旧石器時代』)。その時期は、おおよそ次の四つの段階に分かれる(図10)。

 ①約2万2000年前の寒冷期 : 東・南中国で出現
 ②約1万6000年前の温暖期に向かう直前 : 東北北部・九州北部
 ③約1万4800年前の温暖期 : 沿バイカル・アムール流域と北海道
 ④約1万3000年前~1万1700年前の寒冷期 : 中国北部・北東部


(中略)
 このように、東北アジアの土器は複数の地域の異なる環境において多元的に現れており、どこか一ヶ所で現れた土器が各地へ拡がっていったという状況ではなかったと考えられている。

※藤尾慎一郎「日本の先史時代」(p41-43より)/中公新書2654(2021.8.25)
 図10画像はp42より、原図は佐藤宏之「旧石器時代」敬文社




……2万2000年前というと、最終氷期の最寒冷期、真っ最中ですが。
中国の東南部だと、緯度的には台湾や沖縄、鹿児島南沿岸部と同じ。
当時は温帯域に属しました。今では亜熱帯の地域ですけれど。

保守系の人は、中国・東南部の土器を捏造と考えていますが、
2012年の発見は、米国のチームとの共同研究だったんですよね。
今後、測定年代が引っ繰り返る可能性が、ゼロとは申しませんが、
現段階で全否定できる状況にもない。なにせ「東北アジア」なので。



縄文文明の支持者は、その裏付けとして「世界最古の土器」を提示します。
つまり、土器の出現が、文明の証拠になると考えているようなのですが。

基本的に、土器は定住化のサインなんですよ。定住化に伴って普及する。
移動生活では、家財として持ち歩くのが大変。重いし。落とせば割れるし。

東北アジアでの早い登場は、季節定住による利用と考えられています。


実際、日本でも全国的に土器が普及し出すのは、1万4500年ほど前で、
定住化の確たる証明となる、竪穴住居の出現時期と一致するそうです。




2022/05/22  不破 慈(曾祖母はアイヌ)

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ちなみに、最古の土偶は、中央ヨーロッパから出土しています。
土偶と言いますか、土製のヴィーナス像。ちゃんと焼成されたもの。
3万年前の品。チェコ南東部~オーストリアにかけてのパブロフ文化。

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[ 2022/05/22 13:16 ] アイヌ問題 -4.人類学、DNA | TB(0) | CM(0)

朝鮮半島にも残る縄文遺伝子:古代ゲノム研究

朝鮮半島・釜山郊外の島にある
獐項遺跡から出土した2体の人骨。


約6300年前に生きていた人物で、
現代韓国人より日本人と近縁でした。




科学2022年2月号、p134より
※「科学」2022年2月号、p134より(岩波書店)




ちょ~っと図が見難いと思うんで、必要な部分を拡大しますね(↓)

科学2022年2月号、p134、拡大図
※「科学」2022年2月号、p134より(岩波書店)、拡大図




左上に縄文人のグループがあります。
真ん中ぐらいに、現代日本人のグループ。
そして、右下には中国(北京)と、隣に南中国。

左上に行くほど縄文寄りで、右下に行くほど大陸寄りなんですが。
獐項(ジャンハン)遺跡の二人は、現代日本人に近い位置にいます。

翻って、現代韓国人。グループを形成できるほど解析数はありませんが、
現代日本人と中国(北京)の、ちょうど中間ぐらいに位置しますでしょ?

コレって、韓国人にも、縄文と共通する遺伝的要素があるということ。
実際、現代韓国人のゲノム中、5%程度が縄文人と共通するそうです。



これには、二通りのシナリオが考えられます。

①アフリカ⇒アジアへと移動してきた人類の、古い系統が、
 大陸を囲むように、列島周辺に残った(東ユーラシア基層集団

②九州北部と半島南部で交流があり、縄文時代に遺伝子が伝わった。



私は、両方だろうな、と思っています。

そうして、時代が進み、長江流域から水稲水田耕作民
大開拓時代(!)が始まると、農耕民のゲノムが東アジアに拡大

当然、列島よりも半島のほうが、縄文人と共通する遺伝要素は薄まります。


加えて、弥生時代の人骨を解析すると、①遺伝的に縄文人の「大友8号」、
②縄文・渡来、双方の遺伝的特徴を併せもつ「下本山2号・3号」等々、
多様性に富むことから、列島内で確実に混交が起きたと考えられます。

対馬海峡を挟んだ交流は、縄文時代から変わらず続いていたため、
半島側で混交する人々もいたでしょうが、半島から移住した人々が、
そのまま現代日本人の祖になったという、単純な図式は成り立ちません。



現在、解析されているのは半島南部沿岸から出土した古人骨だけで、
同時代の半島内陸部については、まだよく解っていないそうです。

古墳時代以降の渡来民は、現代韓国人に近かったと思われますが。
今後、解析数が増えれば、もっと詳細なシナリオも描けるでしょう。




2022/05/15  不破 慈(曾祖母はアイヌ)

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韓国人と縄文人の近縁性については、以前から言及されていました。
Y染色体ハプロ型のD系統と、ミトコンドリアDNAハプロ型のN9b。
パーセンテージとしては僅かですが、韓国の人々も保有しているんです。

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[ 2022/05/15 11:14 ] アイヌ問題 -4.人類学、DNA | TB(0) | CM(4)

中国の少数民政策:満州族、なぜか倍増

満州族、なぜか倍増
 ~大陸中国の少数民政策~



小ネタです(^^)

引用元の本は、図書館に返してしまったので、
表紙画像を用意できなかったのですが。

下記に言及される、大陸中国におけるエピソードは、
日本のアイヌ政策について、深く理解する一助になると思われます。

 ↓↓↓


なぜ満州族がこんなに増えたか  ※対談です

宮脇:(前略)
 1980年代に満族つまり満州人は430万人と言われたんですが、今は、1000万人を超えているんですよ。どうすればそんなに人口が増加するかというのを、『清朝史叢書』研究会でもめたことがありました。

宮崎:
 一番の問題は、満族に戸籍を変えたら二人産める、ということですね。

宮脇:
 そうです。1980年代になったら、満州人はもう何の政治的な力も持たないから安心、安全だ、だから観光に利用しようというので、満族村をたくさんつくりました。それで、満族村なんだからみんなで満州人になろうと、住んでいる人は全員満州人ということになった。それで一気に人口が倍以上になったというわけです。


【引用注:宮脇淳子先生と、宮崎正弘先生です】
※モンゴルから世界を問い直す(p52~53より抜粋)
 編者:岡田英弘/発行:藤原書店2017.1.10




観光利用から「民族なるもの」が爆誕。
日本のアイヌとオーバーラップします。




※在ヌだとか、中国人による乗っ取りだとかの陰謀論ではないです。




2022/05/08  不破 慈(曾祖母はアイヌ)

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実在のアイヌは部族社会です。民族として纏まったことなんてない。
和人は大事な交易相手で、部族間抗争のほうが激しかったくらい。

 エンチウ・ソーヤ・ペニウンクル
 シュムクル・サルンクル・メナシクル・トゥカチ
  ⇒金カム:アイヌ「族」の少女って何?(2018/05/05)
      http://fuwameg.blog.fc2.com/blog-entry-1792.html

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[ 2022/05/08 12:52 ] アイヌ問題 -1.アイヌ・IR利権 | TB(0) | CM(2)

現代アイヌの不正・犯罪が問題 ~日本は法治国家なので

現代アイヌによる反日行為よりも、
不正・犯罪行為を問題視しましょう。

※日本は法治国家なので



……もうご覧になった方もいらっしゃることでしょう。
東洋経済オンラインの、古川雄嗣先生&大場一央先生の対談記事。

団塊世代の知識階級は、相も変わらず、9条教徒が大半を占めますが。
世代が変わると違いますね。古川先生が1978年、大場先生が1979年。
私も1978年生まれですけれど。日本人の国防意識の変化を感じます。

ただ、記事中のアイヌ問題の項目に関しては、子孫の私が言及します。



先ずは、該当箇所の引用から(↓) ※一部を抜粋

「愛国心やナショナリズムは危険だ」という大誤解
ウクライナ問題で露呈、「大人の道徳」なき日本

2022年4月30日 6:11 配信 東洋経済オンライン


■「アイヌは存在しない」という「逆張り保守

古川:
 ところで、大場先生は札幌のご出身で、私も大学の教員として旭川に7年ぐらい住んでいます。北海道に縁がある2人としては、歴史意識を論じるうえで、アイヌの問題は避けられないですね。最近、一部の「保守」と称する人たちが「アイヌは存在しない」などと主張しているそうで、困ったものだと思っているのですが、大場先生はどのようにみておられますか。

大場:
 北海道の地名一つとってもアイヌ抜きに考えることは無理ですからね。確かに松前藩などにいた「内地人」と狩猟民族であるアイヌは生活文化や価値観が大きく違ったでしょう。しかし、幕末の探検家、松浦武四郎の著書『アイヌ人物誌』では、日露雑居の樺太にいるある民族が「私たちは皇国の民だから、日本に帰属したい」などと訴えたエピソードを記すなど、同じ日本人であるという理解をしながら生きようとした姿も描かれている。もちろん、場所請負制のもと奴隷のように扱われたケースもある。良い話、悪い話両面あって、「北海道」は形作られてきた。それが日本と北海道を語るうえで欠かせない歴史意識でしょうね。

古川:
 プーチンはすでに2018年に「アイヌ民族をロシアの先住民族に認定する」という意向を表明していますから、今回のウクライナ侵攻と同じ論理で、「アイヌ民族保護」を名目に北海道に侵攻する可能性も否定できないでしょう。にもかかわらず、日本がアイヌを排除していたら、ますますその名目に正当性を与えることになってしまいます。そういう観点からも、まずいと思いますね。


大場:
 アイヌに限らず、異なる価値観の民族を内に含みながら、日本という国を、確固とした価値観で成立させなければなりません。異なる価値観を無視すると「日本民族は他民族を抹殺する」と左翼に利用されるだけです。そのカウンターで例えば「アイヌは左翼で反日だ」などと世界観を逆張りするだけの集団が「保守」を謳っている状況も危うい。ただ、いわゆる「つくる会」運動以降の主流は、逆張り保守になっているような気がしてなりません。

https://finance.yahoo.co.jp/news/detail/20220430-00583627-toyo-column




……「つくる会」に対しては、私も言いたいことがあります。
「アイヌはオホーツク文化人を駆逐して北海道に侵入した」、とか?
それが、「遺伝学の研究で明らかになっている」、とか?

コレ、的場光昭医師が主張しているエセ遺伝学ですよ。

つまり、的場光昭医師が言い出し、チャンネル桜が拡散し、
つくる会が真に受けた主張の劣化版が、竹田恒泰氏のアイヌ動画


 竹田恒泰氏のアイヌ動画について (2020/10/06)
 http://fuwameg.blog.fc2.com/blog-entry-2087.html
 アイヌ系日本人の私が、アイヌ問題に言及したくない理由 (2022/04/11)
 http://fuwameg.blog.fc2.com/blog-entry-2258.html




遺伝学の本で確認すると、駆逐・強姦という用語自体が出て来ません。
社会的に見て、文中にある「逆張り保守」は、デマ煽動するヘイト右翼

科学的に間違いだらけの人間が、メインのスピーカーになっていれば、
アイヌ利権を追及する子孫や、良識ある国民まで誤解されて当然ですね。



だったら、現代アイヌの反日行為よりも、
不正や犯罪行為を告発して行けば良いんです。


如何に寛容な古川雄嗣・大場一央両先生とて、
不正や犯罪を容認しろとは仰らないでしょう。





2022/05/01  不破 慈(曾祖母はアイヌ)

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アイヌ≪民族≫が存在しないのは事実です。もともと観光商品だったし。
実在した部族社会に「被虐の歴史」を肉付けし、先住民族に仕立てました。

 実在の部族社会をモデルに創作されたフィクション (2019/02/15)
 http://fuwameg.blog.fc2.com/blog-entry-1879.html
 GHQ側の記録、アイヌ弾圧などなかった (2017/02/09)
 http://fuwameg.blog.fc2.com/blog-entry-1712.html

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[ 2022/05/01 16:17 ] アイヌ問題 -1.アイヌ・IR利権 | TB(0) | CM(0)
ふわふわでぇす!

ふわふわ

Author:ふわふわ
不破 慈(ふわめぐみ)

アスペルガー症候群(軽度の自閉症スペクトラム/神経発生発達障害の一系統)です。もともとは個人的なブログ(主に当事者研究やエッセイ発表の場)でした。

協会の不正を告発する砂澤陣さんの活動を知り、亡くなった父が、私をアイヌどころか北海道とも無関係に育てた理由が解りました。

父方の祖母は陸奥源氏、福島の母方は東北の蝦夷(安倍氏)。私自身は神奈川県横浜市で生まれ育ちました。


※最も解りやすいアイヌ問題
   ↓↓↓


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