久々にアスペネタ。本屋でぼーっと突っ立って猛スピードで背表紙のタイトルを読み流した。成人向けの発達障害の本を見つけた。捲る。『発達アンバランス症候群』ほうほうほう。面白い造語だね! これならボーダーも拾い上げられる。書棚に戻した。
えっ?! だって、二日後に尾田先生のONE PIECEの新刊の発売だったから! 金ねーんだよ! ルフィやゾロの方が大事なのよ! ジンベエちゃんも好きだし!
発達障害ってさ、育て方が良ければかなり社会に順応できるのよね。そりゃまあ、変わり者扱いされる事は否めないけど。発達障害の特性を上手い方向に持って行けば、愛される人間にはできる。
結構な数のアスペ仲間に会ったよ。なんちゅーか……自己卑下が凄まじいってゆーか……。あまりの暗さと人間不信に、「私、本当にアスペ?」と不安になったよ。でも、やっぱり過去の自分を振り返ると、その傾向が強い。ついでに言うと、もうそんな事どうでも良い。発達障害だろうが、健常だろうが、私が凸凹人間で世間から逸脱してるのは確かだから。
一つだけ、例を上げる。彼等と私の違い。彼等は殆ど同じ言葉を親から掛けられている。
「どうして普通にできないの?」
んあー、私だったらこう言い返しちゃうね。
「それ以外、言う事ないの?」
いや、なんちゅーか……、つまんないよ、その親。同じ事しか言えないなら、アンタから学べるものはないから。人生経験豊富な人間の発言がそれで良いワケ? それじゃあアンタはただの餌やり係だ。
アタシ、母親からそんな事言われた経験ない。周囲からは散々「変わり者」呼ばわりされたけど、そしてそれが楽しくって更に変わった事やってたけど、母親に「お前、変わってるからなぁ」と言われたのは共に生きた30年で一度きり。それも肯定の意味で告げられた。「だから、それで良いんじゃない?」と。
女の幸せを掴めなかった人だから、嫉妬は凄かった。でも、アタシはあれほど高潔で賢い女を他に知らない。自分の意志でコントロールできる範囲内では子供に矛先を向けなかった。嫉妬が凄まじかったのは、彼女が「女の幸せを掴みたかった」という自身の傷を無視していたから。抑え込むためには自覚しないと、体外に漏れ出てしまう。
私も「普通」を求めた時期はある。社会人になる為、ある程度世間に合わせる必要があった。でも長くは続かない。精神がぶっ壊れた。
「人の道」なんて「他人の道」。「普通」なんて「平均値」。「自己を高める」事は可能だ。限界などない。だが、所詮「他人には成れない」。
2012/05/03 慈