下記の後発記事をご覧下さい。
↓↓陸奥臣・柴田臣・安積臣・信夫臣
・会津臣・磐城臣……ぜんぶ蝦夷のアベ(2018/02/08) http://fuwameg.blog.fc2.com/blog-entry-1749.html
阿倍会津臣 ⇒ 阿部
阿倍陸奥臣 ⇒ 安倍 久々にぶっ倒れました(^▽^;
もう余命様 にも あいか様ニュースにも追い付けなひ(泣)前回記事からの流れです。
北海道の父ではなく、福島出身の母の家系。
「日本古来の蝦夷と、アイヌはイコールじゃないよ」と。
で、この、
東北の阿倍氏。
母の話に拠ると、「越から東北に入った」そうです。
で、福島辺りで留まったのが、会津臣(⇒阿部)で、
そのまま北上したのが、陸奥臣(⇒安倍)。
江戸末期、白河藩主(会津の隣)は阿部でしたが、こちらは中央の阿倍。
家康の人質時代から付き従っていた阿部正勝の子孫。譜代大名ですね。
ウチ(母の実家)とは、家紋が違います。ただ、どうも調べてみたら、奈良時代(710-784)の後半、
現地の有力豪族・氏族に下賜された、と有るんです。
一方で、中央(ヤマト朝廷)にも、昔っから阿倍が居ます。
こちらもまた、「
阿倍内臣」とか、「
阿倍引田臣」とか、
後ろに何かくっ付いていて、全体で集まって「阿倍氏」です。
中央の阿倍さんは、エリートですよ?
阿倍内臣からは、7世紀中葉に、
左大臣・
倉梯麻呂(くらはしのまろ)を出しています。
娘さんが、考徳天皇に嫁いで、有間皇子を産みました。
もう一人は天智天皇に嫁ぎ、二人の皇女を産んでいます。
麻呂さんの少し後、引田臣からは有名な
日羅夫(ひらぶ)将軍。
「
越国守」です。蝦夷征討を成功させたと有ります。
秋田辺りでは、戦闘はしたものの、
投降した蝦夷に冠位を授け、そのまま郡領に取り立てる。
(←!)北海道(当時は渡島)では、蝦夷を集めて大宴会。
(←!!) ……征討?( ̄∀ ̄; 【※】そして何度も言うように、この時代、アイヌは存在しません。
アイヌ集団の登場は、13世紀に入ってから。白村江の時の将軍も、この比羅夫さんです。
中大兄皇子がゴリ押した、負け戦。
で、比羅夫将軍は、その後も朝廷に居たり、
太宰師に就任したりして、謂わば外交と国防の責任者でした。