縄文人・渡来人、どっちに近い?※沖縄・アイヌを除いた地図です(↓)
※抜粋 都道府県ごとに縄文人由来と渡来人由来のゲノム比率を色分けして示したのが右[引用注:上]の地図だ。この図では,
青の濃い県ほど相対的に縄文人由来のゲノム比率が高く,逆に赤の濃い部分では渡来人由来の比率が高いことを意味している。ちなみに,最も渡来人由来の比率が高かったのは滋賀県だった。
渡来人は朝鮮半島から日本列島へ渡ってきたと考えられており,地理的には九州北部に上陸したとみるのが自然だ。実際に九州北部では渡来人に関連する遺跡が数多く見つかっている。しかしこの地図を見ると,九州北部よりも近畿地方や中部地方の日本海側,それから四国の現代人の方が渡来人由来のゲノム比率が高いことがわかる。特に,四国の4県は揃って渡来人由来の比率が高い。 もちろん,こうした傾向の違いには近代以降の集団移動も影響している可能性がある。たとえば地図中の北海道の色はアイヌ人における縄文人ゲノムの比率の高さと矛盾して見えるが,実のところ
今回の北海道のデータにはアイヌ人が含まれていない。明治以降の政策によって,本州にルーツを持つ人が北海道に多く移り住んだ結果だ。
※日経サイエンス2021年8月号(p32-33)より……「
最も渡来人由来の比率が高かったのは滋賀県」とありますが。
基本的には、本土日本内における比率は、ほぼ団子状態です(^▽^;
アイヌ7割、沖縄3割。本土日本1~2割……縄文遺伝子 (2022/04/17) http://fuwameg.blog.fc2.com/blog-entry-2260.html鹿児島県は、沖縄に続いて、他県よりちょっと高めですけどね。
その次に青森⇒岩手と続きますが、両県の順番は誤差の範囲です。
九州の他の県とも僅差。……そう言えば、顔の濃い人が多い気が(←)
歴史時代に人がどう動いたか、といったことも考慮の必要がありますが。
北部九州の縄文比率が、四国や近畿~中部地方(日本海側)より高め、
というのは、実はそれほど意外ではないのかも、と思っております。
弥生初期に、渡来人(ガチ縄文じゃない)が流入して来ますよね?
最初期の渡来人は、半島南部に居住していた人達が中心だったのでは?
古層集団(東ユーラシア基層集団)の系統を一部に受け継ぐ人達であり、
縄文時代にも、対馬海峡を挟んで北部九州と交流をしていた人達です。
最初期の渡来人と、在来の縄文人とで北部九州が開拓されれば、
それ以降に流入してきた渡来人は、未開拓の奥地を目指すのでは?
向こうは向こうで、独自に混交が進んでいる、ということです。
古墳時代の渡来人は、現代韓国人に近かったと考えられていますし。
時代を経るごとに、渡来人の大陸要素が強まっていったということ。
「渡来人」と一口に言いますが、遺伝的に単一の集団ではありません。
3000年前から、1500年以上かけて、ず~っと流入していたんです。
奈良の平城京なんて、シルクロードの終着点として国際都市だったでしょ?
本土日本における縄文由来の遺伝子が1~2割というと、
大袈裟に落胆する人達がいますが。私には理解できません。
大開拓時代の何が悪いの? 北海道の開拓もダメだったの?
2022/10/22 不破 慈(曾祖母はアイヌ)
※アップ翌日、タイトルを逆に

「
擦文人は和人だった」との見解がネットに流れています。和人の定義とは?
少なくとも、「和人」よりもはるかに縄文の血が濃かった集団を設定しないと、
近代アイヌに縄文の遺伝子が7割も受け継がれていた事実を説明できません。
※繰り返しますが。冒頭の地図に、沖縄と近代アイヌは含まれていません。