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二番目の山羊 ~アイヌは先住民族に非ず

2008年の先住民決議は騙し討ち。2019年のアイヌ新法も不当です。 ※現在は、twitterもFBもやっていません。 【 pixiv:5770560 】

アイヌ女性の畑仕事:園耕のお話

アイヌ女性も簡単な畑仕事をしていました。
種を蒔いて芽が出るのを待つ、といった
かな~り初歩的なものでしたけれど。




……育てていたのは、ヒエ・アワ・キビ・ムギ・ソバ・ダイズ、等々。
空いている場所に種を蒔いて、それ以上の世話はしません。雑草も抜かない。
ベースが狩猟採集なので、使わない草木を刈り込むという発想がないんです。

こういった状態ですから、当然、アイヌを農耕民に数えることはできません。
生業の中心はあくまで、狩猟・採集・漁撈。植物の栽培は補助的な位置づけ。


それでも、人類学や民俗学の世界には、便利な言葉がありまして。
園耕民です。以下、国立歴史民俗博物館・藤尾慎一郎先生の著書から。


藤尾慎一郎著、<新>弥生時代、吉川弘文館

農耕民とは水田稲作や畑作などの農耕を選択して主な生業とする(選択的生業構造をもつ)人びとで弥生時代の水田稲作民が相当する。狩猟採集民は、狩猟、採集、漁撈などありとあらゆる生業に依存して網羅的に組み合わせて暮らしている(網羅的生業構造をもつ)人びとで縄文人が相当する。最後に聞きなれない用語である園耕民だが、語源は英語のhorticultureからきている。農耕を行ってはいるものの主な生業とは位置づけておらず、狩猟・採集などと同様に農耕も一つの手段にとどめている人びとを指す。特に縄文後期以降、水田ではなく畑で稲作を行っている(以下、畑稲作)可能性のある縄文人を園耕民とよぶことができよう(藤尾「生業から見た縄文から弥生」『国立歴史民俗博物館研究報告』第四八集、一九九三)。
※<新>弥生時代 五〇〇年早かった水田耕作(p128-129) 
 藤尾慎一郎/吉川弘文館 歴史文化ライブラリー329/2011.10.1





……単純な理解をしてしまえば、狩猟採集民 ⇒ 園耕民 ⇒ 農耕民です。
気候条件の縛りもあるので、ステップアップ式で考えるのはおかしいですが。

よくある「縄文農耕論」とは、縄文時代に農耕社会が確立していたのではなく、
後期・晩期の縄文人が、園耕を行っていた、園耕民だったというお話なのですね。



さて、冒頭において、「女性」という存在がクロースアップされました。
性差別でも何でもありません。狩猟採集社会では、性による分業が明確です。
果物・ナッツ・雑穀といった植物性食糧を採集するのは、女性の仕事でした。

そうして集めてきた種子類や種籾を、自分達の居住域の近くに植えれば、
芽が出ます。遠方へと採集に出掛けるより、その方がはるかに楽でしょう?


そのようにして、人類は農耕を開始しました。先ずは「園耕」という形で。




2022/10/29  不破 慈(曾祖母はアイヌ)

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北海道で園耕が始まったのは擦文時代に入ってから。縄文時代においても、
本州では、タンパク質の3~6割を植物性の食糧から摂取していましたが。
北海道は魚介・海獣に偏った食生活。植物性食糧は採集自体が難しかった。

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[ 2022/10/29 13:55 ] アイヌ問題 -4.DNA・人類学・考古学 | TB(0) | CM(0)

沖縄には縄文時代がない:日本の先住民族は縄文人?

アイヌ先住民族説を否定したい一心で、
保守系言論人・活動家が叫んでいます。


「日本の先住民族は縄文人ダー!」

しかし、沖縄には縄文時代がなかった
その論法で、日本国を守れますか?



篠田謙一著、新版日本人になった祖先たちp196より、NHKbooks1255
※新版 日本人になった祖先たち/篠田謙一著/NHKbooks1255(p196)




……ご覧のように、沖縄以南には縄文時代がありません
旧石器時代においても石器は殆ど見られず、貝器の文化でした。

昨今は、沖縄本島辺りまでは、本土の縄文文化からの
影響を受けていたと判明しており、続く「貝塚時代前期」を
縄文時代(or沖縄縄文時代)などと呼び表すこともありますが。


先島諸島(宮古・八重山)に関しては、別の時代区分になります。

沖縄諸島~宮古諸島間に存在する200km超の慶良間海峡に隔てられ、
下田原文化や無土器文化など、独特の先史文化が華開いていたからです。




さて、時代区分にはルールがあります。縄文時代なら土器の製作、
弥生時代なら水稲水田耕作の導入。古墳時代なら前方後円墳の築造。

日本列島は南北に長いので、どうしたって気候や地理条件に差が出ます。
そこから生活文化に違いが生じますが、明確に線引きできるものでもない。

そこで、後に東京大学名誉教授となる藤本強(1936-2010)という考古学者が、
以下の概念を打ち出したんです。日本を三つの地域に分けて考えるんですね。


 北海道……… 北の文化
 本土日本…… 中の文化
 沖縄以南…… 南の文化



ちょうど気候帯の区分(亜寒帯/温帯/亜熱帯)にも対応しています。
尚、各文化圏の間には、クッションとして「ボカシ」を設定します。

 北の文化 ~(ボカシ)~ 中の文化 ~(ボカシ)~ 南の文化




……縄文時代の後、北海道では、樺太南部や千島列島を含めて
続縄文時代に入りますが。北東北も一時期、続縄文文化圏でした。

土器型式のみを見れば、弥生式が津軽海峡を挟んで普及しましたが。
北海道が弥生文化圏に属したと見做されることはありません。
水稲水田耕作の導入を以って弥生時代」だからです。

前方後円墳もなかったので、古墳時代も設定されません。


ちなみに、最北の前方後円墳は岩手県の角塚(つのづか)古墳です。
青森県と秋田県は、北海道と同様、前方後円墳が一つもありませんが。

東北の北辺は「ボカシの地域」と見做されているワケですね。


 南樺太:続縄文からオホーツク文化へ (2022/07/03)
 http://fuwameg.blog.fc2.com/blog-entry-2275.html
 北海道の古墳:8世紀以降の築造 (2022/09/03)
 http://fuwameg.blog.fc2.com/blog-entry-2285.html




「北海道に弥生時代がないのは差別」「古墳時代がないのは差別」
北海道独自の時代設定は、日本から切り離すためのプロパガンダ
(↑)こういった陰謀論まで飛び交いますが、少し落ち着きましょう。


学者は、北海道~本土日本~沖縄の繋がりをきちんと把握しています。
地方色の強い文化が形成されたため、学術的な区分が必要でした。

北の文化・中の文化・南の文化。三つが揃って、日本です。





2022/10/22  不破 慈(曾祖母はアイヌ)

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砂澤陣さんは、逆説的に「日本の先住民族は日本人」と表現します。
その意味をご理解頂けますでしょうか。日本を割ってはいけません。


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[ 2022/10/22 13:41 ] アイヌ問題 -4.DNA・人類学・考古学 | TB(0) | CM(0)

都道府県別ゲノム解析:縄文・渡来、どっちに近い?

縄文人・渡来人、どっちに近い?
※沖縄・アイヌを除いた地図です(↓)
日経サイエンス2021年8月号p33より

※抜粋
 都道府県ごとに縄文人由来と渡来人由来のゲノム比率を色分けして示したのが右[引用注:上]の地図だ。この図では,青の濃い県ほど相対的に縄文人由来のゲノム比率が高く,逆に赤の濃い部分では渡来人由来の比率が高いことを意味している。ちなみに,最も渡来人由来の比率が高かったのは滋賀県だった。

 渡来人は朝鮮半島から日本列島へ渡ってきたと考えられており,地理的には九州北部に上陸したとみるのが自然だ。実際に九州北部では渡来人に関連する遺跡が数多く見つかっている。しかしこの地図を見ると,九州北部よりも近畿地方や中部地方の日本海側,それから四国の現代人の方が渡来人由来のゲノム比率が高いことがわかる。特に,四国の4県は揃って渡来人由来の比率が高い。

 もちろん,こうした傾向の違いには近代以降の集団移動も影響している可能性がある。たとえば地図中の北海道の色はアイヌ人における縄文人ゲノムの比率の高さと矛盾して見えるが,実のところ今回の北海道のデータにはアイヌ人が含まれていない。明治以降の政策によって,本州にルーツを持つ人が北海道に多く移り住んだ結果だ。
※日経サイエンス2021年8月号(p32-33)より





……「最も渡来人由来の比率が高かったのは滋賀県」とありますが。
基本的には、本土日本内における比率は、ほぼ団子状態です(^▽^;

 アイヌ7割、沖縄3割。本土日本1~2割……縄文遺伝子 (2022/04/17)
 http://fuwameg.blog.fc2.com/blog-entry-2260.html



鹿児島県は、沖縄に続いて、他県よりちょっと高めですけどね。
その次に青森⇒岩手と続きますが、両県の順番は誤差の範囲です。
九州の他の県とも僅差。……そう言えば、顔の濃い人が多い気が(←)

歴史時代に人がどう動いたか、といったことも考慮の必要がありますが。
北部九州の縄文比率が、四国や近畿~中部地方(日本海側)より高め、
というのは、実はそれほど意外ではないのかも、と思っております。



弥生初期に、渡来人(ガチ縄文じゃない)が流入して来ますよね?
最初期の渡来人は、半島南部に居住していた人達が中心だったのでは?

古層集団(東ユーラシア基層集団)の系統を一部に受け継ぐ人達であり、
縄文時代にも、対馬海峡を挟んで北部九州と交流をしていた人達です。

最初期の渡来人と、在来の縄文人とで北部九州が開拓されれば、
それ以降に流入してきた渡来人は、未開拓の奥地を目指すのでは?



向こうは向こうで、独自に混交が進んでいる、ということです。

古墳時代の渡来人は、現代韓国人に近かったと考えられていますし。
時代を経るごとに、渡来人の大陸要素が強まっていったということ。


「渡来人」と一口に言いますが、遺伝的に単一の集団ではありません。

3000年前から、1500年以上かけて、ず~っと流入していたんです。
奈良の平城京なんて、シルクロードの終着点として国際都市だったでしょ?




本土日本における縄文由来の遺伝子が1~2割というと、
大袈裟に落胆する人達がいますが。私には理解できません。

大開拓時代の何が悪いの? 北海道の開拓もダメだったの?




2022/10/22  不破 慈(曾祖母はアイヌ)  ※アップ翌日、タイトルを逆に

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擦文人は和人だった」との見解がネットに流れています。和人の定義とは?
少なくとも、「和人」よりもはるかに縄文の血が濃かった集団を設定しないと、
近代アイヌに縄文の遺伝子が7割も受け継がれていた事実を説明できません。
※繰り返しますが。冒頭の地図に、沖縄と近代アイヌは含まれていません。

[タグ未指定]
[ 2022/10/15 13:41 ] アイヌ問題 -4.DNA・人類学・考古学 | TB(0) | CM(0)

縄文人と現代アジア人の遺伝的親和性

現代のアジア人、
どれだけ縄文人と近縁?


科学、2020年1月号p25より


現代人とのつながり:得られた手がかりと謎

※一部引用、改行を加えました
 今回改めて,現代のヤポネシア人に縄文人のDNAが残されているのか,推定した。その結果,本土日本人(東京)では1割程度,沖縄本島では3割弱,アイヌでは7割弱と推定された。これは前述の埴原の二重構造説と矛盾しない。やはり我々ヤポネシア人は縄文人の遺伝要素を受け継いでいるのである。

では,縄文人と関係のある集団は,ヤポネシア以外にはまったく存在しないのだろうか。船泊縄文人との遺伝的親和性を解析したところ、シベリアのアムール川下流域のウルチ,韓国人,台湾先住民,オーストロネシア系フィリピン人は,ヤポネシア人と同様に,漢民族よりも遺伝的に船泊縄文人に近いことが示された(図3)。

この東アジア沿岸部の南北に広い地域の集団との遺伝的親和性は,東ユーラシアにおける地域集団の形成プロセスを知るための手がかりを提供しており大変意義深い。この親和性の説明として,2つの可能性が考えられる。

まずひとつが,後期旧石器時代に東アジア沿岸部へ初期拡散した古層集団の遺伝子を共有するというものである。つまり,古層集団のうちヤポネシアに渡った系統が縄文人となり,沿岸部に残った系統が現在の韓国人などに伝わった,とするものである。

もうひとつが,縄文時代あるいはそれ以降に縄文人の系統がヤポネシアから沿岸部に拡散し,交流したとするものである。

ウルチは後者であり,時期も比較的最近であることは,今回の解析より明らかとなった。おそらくアイヌがアムール川下流域の集団と交流したことでもたらされたと考えられる。

※「科学」2020年1月号:神澤秀明(国立科学博物館人類研究部)
 高精度ゲノム解析から見えてきた縄文人の体質・生活・由来(p25-26)





……冒頭の図では、紫→赤→橙→黄の順番に、
縄文人と遺伝的親和性が高い、ということになるのですが。

韓国に関しては、「古層集団+縄文人との交流」であると考えられます。
右の過激派は、「無人だった半島に縄文人が進出した」と言い張りますが。
実際には、6500年前の人骨が見付かっており、現代日本人と近縁でした。
※正確には、現代日本人よりは大陸寄りで、現代韓国人よりも日本(縄文)寄り

 朝鮮半島にも残る縄文遺伝子:古代ゲノム研究 (2022/05/15)
 http://fuwameg.blog.fc2.com/blog-entry-2267.html



台湾のアタヤルとアミは、基本的に古層集団の共有だとは思いますが。
与那国や石垣からだと、台湾は目と鼻の先。沖縄との交流はあったのか?
今後、貝塚時代前期(本土の縄文期)の資料が揃えば、見えてくるでしょう。

そして、楕円の囲みからは外れますが、面白いのはトゥチャとミャオです。
大陸中国の少数民族です。人口は各々、800万~900万もいますけど(←)

山岳地帯は島嶼地域と同様、古層集団の遺伝子が残りやすいのでしょう。




さて、アムール川下流域のウルチ。この人達に関して、
縄文の遺伝子は、比較的最近に伝達した線が濃厚のようです。

ウルチは、日本側の史料にある山丹人の末裔と考えられています。
中~近世にかけて、大陸~樺太~北海道~本州に交易ルートがあって。
山丹交易」と呼ばれます。大陸側の窓口になっていたのが、山丹人。

大陸由来の、上質な絹織物(反物)を蝦夷錦(えぞにしき)と呼んだり、
緒締めに使われた小さな青玉を、樺太玉(からふとだま)と呼んだり。

アイヌを介して、行われた交易でした。混交する人もいたでしょう。




2022/10/08  不破 慈(曾祖母はアイヌ)

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トゥチャ族が800万で、ミャオ(自称はモン)族が900万ですが。
現在の満州族が1000万人なのと、同じカラクリを感じる(-。-;
 中国の少数民政策:満州族、なぜか倍増 (2022/05/08)
 http://fuwameg.blog.fc2.com/blog-entry-2266.html

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[ 2022/10/08 13:24 ] アイヌ問題 -4.DNA・人類学・考古学 | TB(0) | CM(2)

漢字を日本に伝えたのは誰? 古代の書記は国際人

東アジアにおける古代社会では、
漢文が国際語として用いられました。

 
つまりは、今日でいう英語の立ち位置ですね。
当時は電話もなく、交通機関も発達していない。
遣り取りは、使者に託した文書で行われます。
 

実は、4000年前の中東でも、
似たようなことが行われていました。
楔形文字の文書が、国際語だったんです。





……大英博物館・中東部門副館長で、楔形文字解読の第一人者である、
アーヴィング・フィンケル氏の著書からご紹介します(↓)
※面倒なら、太字の箇所だけ読んで下さい(_ _)

ノアの箱舟の真実、アーヴィング・フィンケル著、宮崎修二・標珠実訳、明石書店20180115 ※引用(漢数字→アラビア数字)

前2000年紀には訓練を受けた書記たちが頭に詰め込んだ専門知識と鞄に入れた書物を携え、自ら運命を切り拓こうとメソポタミアの中心を離れるということはよくあった。そうした人々のはたらきの一部が知られている。例えば、シリアのメスケネでは楔形文字についての知識が輸入されており、各地から集まった学生たちが自分たちには全く馴染みのない古い単語や名称を集めた語彙集を丁寧に写し取っていた。また、それと同時に、アッカド語の楔形文字が普及し、中東全域で国際語として使われるようになると、各地の小国の王たちは外交文書を作成するため、楔形文字を扱える者を臣下に加えたいと望むようになった。その結果、地元のミタンニ人が話したことをバビロニア人の筆記係が書板に書き取り、それがエジプトに届けられると、故郷を離れてエジプトに暮らしている別のバビロニア人の書記がそれを読み、外交文書らしい文体に整えるなどした後、エジプトの言葉に訳してファラオに上奏するという骨の折れる手順を経ることとなった。
※ノアの箱舟の真実――「大洪水伝説」をさかのぼる(p100-101)
 アーヴィング・フィンケル著/宮崎修二&標珠実訳/明石書店2018.1.15





……書記の訓練を受けた人達は、その職能を各国に売り込んでいた模様です。
ヘッドハンティングのような引き抜きも頻繁に行われていたかも知れません。
当時の書記職とは、実質の通訳。国際人として、大活躍していたんですね。


実はもう一つ、面白い記述を見付けました。
日本では、漢字を崩して片仮名や平仮名を作りましたけれど。

楔形文字でも、似たことが行われていて。自国の言語に合わせて
アルファベットのようなものを作る場合があったそうです(↓)




※再び引用(漢数字→アラビア数字)
 楔形文字が普及すると、その他にも思いがけない成果が生み出されることになった。前13世紀のウガリットで文字の歴史に新たな勢力が登場したのである。それは実質的に最初のアルファベットとして、単語を分ける記号(何と軟弱な!)を備えた31文字からなり、セム語系のウガリット語を綴り、記録するのに十分機能していた。奇妙なことに、この新しいアルファベットも文字としては楔形文字であり、文字の形は可能な限り単純化され、その誕生のきっかけとなったメソポタミアの楔形文字とはあまり関連してはいなかったが、従来と同じ手順で粘土書板に刻まれた。まるで、文字というものは粘土書板に楔形文字で刻むものだという意識があまりに強かったため、そこから離れて別の形で文字を記すことができなかったかのようである。このウガリット文字は青銅器時代の地中海の港町ウガリットで広く用いられた。港町に暮らす商人たちは少しでも商売の機会を逃すまいと多くの言語を操れるようにしていたに違いないが、前12世紀初頭にウガリットの町は破壊され、ウガリット文字は使われなくなった。アルファベットが再び考案されるのは、その後200年以上経ってからのことである。
※ノアの箱舟の真実――「大洪水伝説」をさかのぼる(p101)
 アーヴィング・フィンケル著/宮崎修二&標珠実訳/明石書店2018.1.15


※現代のアルファベットは、エジプトの象形文字がルーツです。





……いったい何故、こんな話をしているかというと。
日本でも、古墳時代に文字が使われ出したじゃないですか。

その時代に、大陸や半島から文字を扱える人々がやって来て、
列島で新たな為政者となった、という考え方があるようなんです(↓)



※対談記事、抜粋
橘 : 日本ではなぜ3世紀になるまで文字が普及しなかったのかは、私も不思議だったんです。

篠田 : 弥生時代の人たちは稲作を行い、あれだけの土器、甕(かめ)なんかも作りましたから、大陸から持ち込んだ技術や知識は絶対にあったはずなので。いったい誰が渡来したのか、その人たちのルーツはどこにあったのかっていうところを解きほぐすことが必要だと思っています。

橘 : 古墳時代に文字を使うリテラシーの高い人たちが大量に入ってきて、ある種の王朝交代のようなものが起きて、『古事記』や『日本書紀』の世界が展開する。縄文から弥生への二段階説ではなく、縄文・弥生・古墳時代の三段階説ですね。

篠田 : そうしたことが、おそらくこれからゲノムで読み取れるんだろうなと思います。
※全文⇒ https://diamond.jp/articles/-/306767?page=5




……確かに「王朝交代」は、真っ先に思いつく一番シンプルなモデルです。
同時期に前方後円墳も登場しますし、何より出雲国譲り神話を連想する。

しかし私は、4000年前の中東で起きていたことと、同じようなことが、
2000年前の極東でも起きていたのでは? そのように考えております。




2022/10/01  不破 慈(曾祖母はアイヌ)

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篠田・橘両氏の対談については、以下の記事でも解説しました(↓)
 古代ゲノム解析:韓国の事情と英王室のゲノム (2022/09/10)
 http://fuwameg.blog.fc2.com/blog-entry-2286.html

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[ 2022/10/01 12:54 ] アイヌ問題 -4.DNA・人類学・考古学 | TB(0) | CM(0)
ふわふわでぇす!

ふわふわ

Author:ふわふわ
不破 慈(ふわめぐみ)

アスペルガー症候群(軽度の自閉症スペクトラム/神経発生発達障害の一系統)です。もともとは個人的なブログ(主に当事者研究やエッセイ発表の場)でした。

協会の不正を告発する砂澤陣さんの活動を知り、亡くなった父が、私をアイヌどころか北海道とも無関係に育てた理由が解りました。

父方の祖母は陸奥源氏、福島の母方は東北の蝦夷(安倍氏)。私自身は神奈川県横浜市で生まれ育ちました。


※最も解りやすいアイヌ問題
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