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二番目の山羊 ~アイヌは先住民族に非ず

2008年の先住民決議は騙し討ち。2019年のアイヌ新法も不当です。 ※現在は、twitterもFBもやっていません。 【 pixiv:5770560 】

アイヌは民族ではないし、先住でもない【子孫の主張】

日本に学問の自由を!





……ついに、国会で騒ぐようになったんですね(遠い目)

何度も書き直していたら、予想よりも時間が掛かってしまい。
既にご存知の方ばかりでしょうが、遅ればせながらのアップです。


さて、私からは二点を解説します。槍玉にあげられている
北大教授の、特に注目された以下の発言についてです。

 ①「まず民族と言えるのかも、徹底的にしらべたい」
 ②「アイヌは先住民族ではないことは確かです」

 ↓↓↓




①「まず民族と言えるのかも、徹底的にしらべたい」


……まず民族とは言えません。部族社会でしたし。
一つに纏まったことがなく、部族間抗争は激しかった

アイヌ文化圏・アイヌ社会といった表現は可能でしょう。
列島の北部に、部族社会が存在していたのは事実ですから。

ですが、アイヌ民族orアイヌ族となると? 誤解を与えます。


 エンチウ・ソーヤ・ペニウンクル
 シュムクル・サルンクル・メナシクル・トゥカチ
  ⇒ 金カム:アイヌ「族」の少女って何?(2018/05/05)
    http://fuwameg.blog.fc2.com/blog-entry-1792.html

 実在の部族社会をモデルに創作されたフィクション (2019/02/15)
 http://fuwameg.blog.fc2.com/blog-entry-1879.html





②「アイヌは先住民族ではないことは確かです」


……仰る通りです。北海道の先住民族は縄文人だから?
違います。そんな小学生レベルの論法ではない(笑)


アイヌは確かに、縄文の血が濃いです。

1980年代に、平取町二風谷で集められた
近代生まれのアイヌのゲノムを調べたところ、
縄文と共通の遺伝子が、約7割を占めていました。


 都道府県別ゲノム解析:縄文・渡来、どっちに近い? (2022/10/15)
 http://fuwameg.blog.fc2.com/blog-entry-2291.html
 アイヌ7割、沖縄3割。本土日本1~2割……縄文遺伝子 (2022/04/17)
 http://fuwameg.blog.fc2.com/blog-entry-2260.html





そして、この事実を以って、世間に誤解が浸透しています。
 
 日本(或いは北海道)の先住民族は縄文人
  ↓↓↓
 アイヌは縄文の血を7割も受け継いでいた。
  ↓↓↓
 日本(或いは北海道)の先住民族はアイヌ






そもそもの段階で、日本人は先住民族の意味を履き違えています。
「先住猫・後住猫」と、同じくらいの軽い感覚で使っている。


国際社会において、先住民族と言った場合、それが何を指すか。
弾圧され、迫害され、虐殺され、土地を奪われた人々のことです。

米ネイティヴ、豪アボリジニ、ニュージーランドのマオリ族……etc.
何れも、弾圧・迫害・虐殺を受け、土地と資源を奪われた人々ですね。


にも関わらず、「日本の先住民族は縄文人」などと拡散すれば?

「日本は、弥生時代以降に渡来した人々が、先住の縄文人
 弾圧・迫害・虐殺し、土地を奪って建国された」
と認識される。





それがアイヌだろうが、縄文だろうが。
「先住民族」という言葉には、それほどの重みがあるのです。

ましてや、本土日本(和人)側は、縄文人と共通する遺伝子
1~2割しか有していない
のですから。勘違いされるでしょう?


実際には、未開拓の列島で農耕民の人口が爆発的に増加したため、
狩猟採集民が遺伝的に吞み込まれる形になっただけなのですが。


今は機械翻訳で海外の人も読めます。言葉には気を付けて下さい。
日本は、先住民族を虐殺して建国された簒奪国家ではないのです。





2023/2/26  不破 慈(曾祖母はアイヌ) ※アップ翌日、中盤の一部をカット

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右の過激派は「アイヌは強姦魔の子孫。遺伝学で証明された」と喧伝します。
ところが、遺伝学の本で確認すると、駆逐・強姦という語が一切登場しない
明白なデマは批判されて然るべきですが。学問の自由を奪ってはいけません。

 アイヌ否定論:科学を捩じ曲げればデマ認定は当然 (2022/09/17)
 http://fuwameg.blog.fc2.com/blog-entry-2287.html
 縄文人が弥生人に直接進化? 50年前の変形説 (2022/04/14)
 http://fuwameg.blog.fc2.com/blog-entry-2259.html ※アップ翌日、リンク追加

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[ 2023/02/26 12:26 ] アイヌ利権問題 -1.アイヌ・IR利権 | TB(0) | CM(4)

19世紀の樺太(サハリン):松田伝十郎の交易改革

アイヌを介して行われた山丹交易
樺太を経由し、大陸(清)から、
錦やガラス玉が齎されました。



ですが、当時のアイヌは読み書き算盤、一切できません。
交易相手の山丹人に対し、多額の負債を抱えていました。

19世紀初頭、蝦夷地が幕府直轄領となった際、
松田伝十郎が、山丹交易の改革を行います。

アイヌの負債を、幕府が肩代わりしてくれたんです。




北方世界の交流と変容、山川出版社2006


※引用(漢数字→アラビア数字)
 サンタンやスメレンクルたちの白主の日本側交易所(会所)における傍若無人な態度は、松田伝十郎の交易改革とともに、影を潜めることになる。それは以下のように彼が実力行使に出て、日本式の礼儀作法を強制したことが直接の原因ではあるが、それだけでは却って反発を強めてサンタン商人らのサハリン来航は途絶えてしまっていただろう。松田伝十郎の交易改革以降、彼らの来航は逆にますます盛んになるのである。それは、松田伝十郎が、アイヌが背負ってきたサンタン商人に対する負債をすべて解消し、さらにサンタン商人に対する支払いに幕府の保証を付けたからである。それによって、サンタンたちは持ってきた蝦夷錦やガラス玉などの商品に対してその都度確実に支払いを受けることができるようになった。
※北方世界の交流と変容――中世の北東アジアと日本列島(p42-43)
 佐々木史郎「サンタンとスメレンクル 19世紀の北方交易民の実像」
 山川出版社2006.8.1/天野哲也・臼杵勲・菊池俊彦編






……勿論、幕府は、単なるボランティア(福祉政策)として、
樺太アイヌ(エンチウ)の負債を肩代わりしたのではありません。

当時の樺太は、北部に行くほど、清朝の支配下にありました。
日本に服属する部族と、清に服属する部族との雑居状態と言っていい。
その更に北には、南下を狙うロシアがいた。大雑把にそんな感じです。

当時の状況を踏まえた上で、幕府の役人の立場になってみましょう。
最も欲しいものは何でしょうか? やっぱり情報ですよね。


そこで、山丹交易なんです。サンタンやスメレンクル達は、
アムール川を遡り、三姓(現在の黒竜江省依蘭市)まで出向き、
交易を行っていました
。ハルビンの辺りです。今も大都市ですね。

水運の要衝であり、清朝(満州人)父祖の地。役人が大勢いました。
清国内の様子がわかれば、間接的ではあっても、ロシアの動向を掴める。



北方世界の交流と変容p14より、山川出版社2006
※北方世界の交流と変容――中世の北東アジアと日本列島(p14)

※引用(漢数字→アラビア数字)
 伝十郎の交易改革は幕府に大きな財政的な利益をもたらすことが目的ではなかった。おそらく、役人を白主に派遣したり、そこに常駐させたり、防衛のために兵士たちを駐屯させておくことは、幕府の財政を相当圧迫したはずである。そのことが1821(文政4)年に幕府が松前藩に一度蝦夷地全土を返還した理由の一つだったともいわれる。
※北方世界の交流と変容――中世の北東アジアと日本列島(p48)
 佐々木史郎「サンタンとスメレンクル 19世紀の北方交易民の実像」
 山川出版社2006.8.1/天野哲也・臼杵勲・菊池俊彦編






……勿論、サンタン達を間者として使役した、という話ではありません
上の地図を見れば判りますが、彼等の交易ネットワークは広大です。
それだけ遠方の情報を持っている。直接、足を運んで集めている。

交易所に、生情報(infomation)を持ち帰ってくれれば好い。
判断(intelligence)は、幕府側の役人が行います。



それがどれだけ機能したか、と問われると疑問ですけれどね。
現に、一度は蝦夷地全土を松前藩に返還していますから。

財政的に、抱えきれるものではなかったのでしょう。


そして、当然ながら、アイヌは山丹交易から外されます。
致し方ないことです。アイヌでは真面な報告を上げられません。
でも、負債を肩代わりして貰えました。補償としては充分でしょう。


その後は皆さん、ご存知のように、清国との争いにロシアが勝利します。
アムール川流域や沿海州をロシアが抑え、樺太は日露雑居状態となります。

日本も、明治新政府へと政権が移ると、交易から手を引いてしまいました。



※再度、引用(漢数字→アラビア数字)
 海保嶺夫氏が明らかにしたように、ロシアがクシュンコタンに上陸した1853年のサンタン交易は、質量ともに非常に充実した年だった。幕府は1855(安政2)年に再び蝦夷地を幕府直轄領として、サンタン交易も幕府の管理下に置くが、その後、この年に匹敵するような量の交易はなかった。それは、交易が幕府の管理下に置かれたためではなく、アムール川流域にロシアの勢力が侵入して、サンタン人の故郷が政治的、軍事的に不安定になったからである。さらにそれに伴い、清朝の力が衰退し、19世紀前半までのように、錦や木綿、ガラス玉などの主要商品を十分仕入れることができなくなってきたからでもある。
※北方世界の交流と変容――中世の北東アジアと日本列島(p49-50)
 佐々木史郎「サンタンとスメレンクル 19世紀の北方交易民の実像」
 山川出版社2006.8.1/天野哲也・臼杵勲・菊池俊彦編





……清朝に重んじられていたサンタンやスメレンクルだからこそ、
情報源としての価値がありました。でも、ロシアが支配者となれば?

彼等はもう、魅力ある「商品」を提示できません。私でも打ち切ります。




2023/2/19  不破 慈(曾祖母はアイヌ)

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日本が去り、サンタンやスメレンクル達の生活は、大きく傾きました。
そもそも当時の日本は、自分達が植民地にされないだけで精一杯です。
日本人になれたアイヌが、どれだけ幸せだったのか、というお話です。

 ロシアによる先住民虐殺:シベリアジェノサイド (2022/03/07)
 http://fuwameg.blog.fc2.com/blog-entry-2235.html

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[ 2023/02/19 11:36 ] アイヌ利権問題 -2.北海道・アイヌ | TB(0) | CM(0)

ロシアの侵略を150年、退け続けた先住民チュクチ

17~19世紀にかけ、
150年もの間、ロシア帝国の
侵略を退け続けた先住民がいます。

カムチャツカ半島の更に北、
シベリア北東端のチュコト半島。


その一帯に住む、チュクチ族です。
 

チュクチの家族とシベリアンハスキー、20世紀初頭
https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Chukchi_family_old.jpg

※チュクチの家族とシベリアンハスキー(男性の足許)の写真
 20世紀初頭(1900~1910年頃)の撮影と見られる。





北の人類学、アカデミア出版会19920530

※引用、漢数字⇒アラビア数字
 シベリア北東端に位置するチュコト半島は、ロシア帝国の侵略的な拡大を防止できた唯一の例外である。そこに住むチュクチやエスキモー、そして初期のヤクート、ツングース、コリャークやユカギールの息の長い抵抗のためである。なかでも、チュクチの抵抗は特筆に値する
 ベーリング海峡航行の後の1649年にデジニョフは、アナドゥル川中流の島に城塞場(砦)を開いた。このアナドゥル砦がチュコト半島侵略の基地になった。アナドゥル砦は、1764年までに城壁で囲まれ、5つの見張り塔、1つの協会、そして130戸の家が建ち並ぶまでになった。しかし、同じ1764年には、モスクワの元老院がアナドゥル城塞村を廃棄する決定を下したのである。
(略)
 結局、19世紀の中葉に、ロシア政府は、チュコト半島の軍事的な征服を放棄し、チュクチに対する軍事活動を止めることにした。その代わりに、通商や交易などを中心にロシア人の入植を奨励する。そのことは、ロシア帝国のコサック軍を相手にして、チュクチは150年の長い間、彼等の抵抗を持続することができたことを物語っている。



北の人類学、p171より、アカデミア出版会

※北の人類学―環極北地域の文化と生態/アカデミア出版会1992.5.30
 岡田宏明&岡田淳子編/黒田信一郎担当、Ⅶチュクチの抵抗p170-172








……ロシア帝国の軍事政策を転換させるなんて、
どれだけ勇猛で恐ろしい人々なのかと思うでしょうが。

実際のチュクチ族は、物凄く、純朴な人達ですよ。
トナカイの遊牧や、捕鯨・漁撈で生計を立てています

犬ぞりでも知られていますね。日本でもペットとして人気の
シベリアンハスキー。元々、チュクチ族が飼育していた犬です。



ゲノムの研究においても、チュクチ族はアメリカから
アジアに逆流した祖先のDNAを40%受け継いでおり、
アメリカ先住民とも、遺伝的に近いことが判明しています。

特に、エスキモーと呼ばれる人々と、繋がりが深いようです。




※再度、引用(改行を加えました)
 火砲を備えたコサック軍に対して、弓矢で戦ったチュクチがなぜ勝利したのか。その理由の一つとして、北極海沿岸とベーリング海峡沿岸のチュクチとエスキモーが味方したことが挙げられる

ロシアの出現以前にも緊密な相互の友好的な関係はあった。しかし、戦時下において、海岸チュクチが、海獣の皮を張って造った舟を援軍として差し向けなかったならば、疾風のような奇襲作戦は成功しなかったであろう。もちろん、戦闘の成否を決したのは、馬に対するトナカイである。騎馬のコサック軍は、夏は北方の湿地(北海道方言で「やち」という)に足をとられて馬は沈没し、冬は湿地に蹄を取られて馬は転倒した。トナカイは極北ツンドラに最も適していたのである。
※北の人類学―環極北地域の文化と生態/アカデミア出版会1992.5.30
 岡田宏明&岡田淳子編/黒田信一郎担当、Ⅶチュクチの抵抗p182





※対露戦の主役は、内陸で遊牧をするトナカイ・チュクチでした。




2023/2/9  不破 慈(曾祖母はアイヌ)

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現在のチュクチ族は、人口約1万5000人だそうです。
中、1万2000人がチュコト半島の自治管区に居住しています。
ロシアのコサック軍と戦った17~19世紀でも、1万人前後の少数民でした

ロシアが負ける筈ない? わからないよ。私たち次第だ。

[タグ未指定]
[ 2023/02/09 11:46 ] アイヌ利権問題 -2.北海道・アイヌ | TB(0) | CM(0)

台湾有事は日本有事。与那国島の目と鼻の先

台湾有事は日本有事。
先島の住民を護らねば。


海部陽介著、サピエンス日本上陸p60、講談社2020
※海部陽介著、「サピエンス日本上陸 3万年前の大航海」 p60より




海部陽介著、サピエンス日本上陸、講談社2020 海部陽介著、サピエンス上陸p37、講談社2020  ※左:表紙/右:p37より



……3件の画像は、手持ちの本からです。海部陽介著、
サピエンス日本上陸 3万年前の大航海」(講談社2020.2.12)


実験考古学の本です。2013年、国立科学博物館主導で、
「3万年前の航海 徹底再現プロジェクト」が始動して。

クラウドファンディングで資金を集め、台湾~与那国を、
2019年7月7日から、45時間10分を掛けて、
日台混合による、人力の丸木舟が走破しました。


そう、日本と台湾の、共同プロジェクトだったんです。
航海術の指導に、マオリ男性も一人、参加なさいましたが。
※そのマオリ族の男性は、メンバーの日本女性の旦那様



見たまんまですよ。
日本と台湾は、運命共同体




スポーツ選手は、スポーツに関してだけ発言しろ、なんて言いません。
作家でも芸能人でも同じこと。一人一人が一票を持つ時代ですから。

でも、最低限、地図を見てから発信して頂けませんか???




2023/2/2  不破 慈(曾祖母はアイヌ)

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未だに「日本の先住民族は縄文人」と言いふらす方々がいますが。
先島諸島には縄文時代がない。余計な隙を作るのは止めて頂きたい。

 沖縄には縄文時代がない:日本の先住民族は縄文人? (2022/10/22)
 http://fuwameg.blog.fc2.com/blog-entry-2292.html

[タグ未指定]
[ 2023/02/02 17:48 ] アイヌ利権問題 -4.DNA・人類学・考古学 | TB(0) | CM(0)
ふわふわでぇす!

ふわふわ

Author:ふわふわ
不破 慈(ふわめぐみ)

「アイヌ問題を解決するためには手段を選ばない」と豪語する急進派から、『Fさん』という隠語で親しまれるアイヌ系日本人です。
 ↓↓↓

blog.fc2.com/blog-entry-2350.html#more


※以下、プロフ(↓)

アスペルガー症候群(軽度の自閉症スペクトラム/神経発生発達障害の一系統)です。診断済み・手帳持ち。もともとは個人的なブログ(主に当事者研究やエッセイ発表の場)でした。

協会の不正を告発する砂澤陣さんの活動を知り、亡くなった父が、私をアイヌどころか北海道とも無関係に育てた理由が解りました。
不正にはNO!



※最も解りやすいアイヌ問題
   ↓↓↓


 ◆アイヌ狂歌シリーズ


◆先住民族とは
◆在ヌ論について
◆北方領土について①
◆北方領土について②

◆強姦説について
◆的場光昭について①
◆的場光昭について②
◆チャンネル桜について

◆古谷経衡について
◆篠原常一郎について
◆小林よしのりについて①
◆小林よしのりについて②

◆杉田水脈議員の発言①
◆杉田水脈議員の発言②

◆アシリ・レラについて
◆アイヌの盗作活動について


 サイト上部、横並び6件
 記事も宜しくお願いします。


※コメ欄にも、欄外追記として
  よく続報を書き込みます。



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