アイヌを介して行われた山丹交易。
樺太を経由し、大陸(清)から、
錦やガラス玉が齎されました。ですが、当時のアイヌは読み書き算盤、一切できません。
交易相手の山丹人に対し、多額の負債を抱えていました。
19世紀初頭、蝦夷地が幕府直轄領となった際、
松田伝十郎が、山丹交易の改革を行います。
アイヌの負債を、幕府が肩代わりしてくれたんです。
※引用(漢数字→アラビア数字) サンタンやスメレンクルたちの白主の日本側交易所(会所)における傍若無人な態度は、松田伝十郎の交易改革とともに、影を潜めることになる。それは以下のように彼が実力行使に出て、日本式の礼儀作法を強制したことが直接の原因ではあるが、それだけでは却って反発を強めてサンタン商人らのサハリン来航は途絶えてしまっていただろう。
松田伝十郎の交易改革以降、彼らの来航は逆にますます盛んになるのである。それは、松田伝十郎が、アイヌが背負ってきたサンタン商人に対する負債をすべて解消し、さらにサンタン商人に対する支払いに幕府の保証を付けたからである。それによって、サンタンたちは持ってきた蝦夷錦やガラス玉などの商品に対してその都度確実に支払いを受けることができるようになった。
※北方世界の交流と変容――中世の北東アジアと日本列島(p42-43)
佐々木史郎「サンタンとスメレンクル 19世紀の北方交易民の実像」
山川出版社2006.8.1/天野哲也・臼杵勲・菊池俊彦編……勿論、幕府は、単なるボランティア(福祉政策)として、
樺太アイヌ(エンチウ)の負債を肩代わりしたのではありません。
当時の樺太は、北部に行くほど、清朝の支配下にありました。
日本に服属する部族と、清に服属する部族との雑居状態と言っていい。
その更に北には、南下を狙うロシアがいた。大雑把にそんな感じです。
当時の状況を踏まえた上で、幕府の役人の立場になってみましょう。
最も欲しいものは何でしょうか? やっぱり情報ですよね。
そこで、山丹交易なんです。
サンタンやスメレンクル達は、
アムール川を遡り、三姓(現在の黒竜江省依蘭市)まで出向き、
交易を行っていました。ハルビンの辺りです。今も大都市ですね。
水運の要衝であり、清朝(満州人)父祖の地。役人が大勢いました。
清国内の様子がわかれば、間接的ではあっても、ロシアの動向を掴める。
※北方世界の交流と変容――中世の北東アジアと日本列島(p14)※引用(漢数字→アラビア数字) 伝十郎の交易改革は幕府に大きな財政的な利益をもたらすことが目的ではなかった。おそらく、役人を白主に派遣したり、そこに常駐させたり、防衛のために兵士たちを駐屯させておくことは、幕府の財政を相当圧迫したはずである。そのことが1821(文政4)年に幕府が松前藩に一度蝦夷地全土を返還した理由の一つだったともいわれる。
※北方世界の交流と変容――中世の北東アジアと日本列島(p48)
佐々木史郎「サンタンとスメレンクル 19世紀の北方交易民の実像」
山川出版社2006.8.1/天野哲也・臼杵勲・菊池俊彦編……勿論、
サンタン達を間者として使役した、という話ではありません。
上の地図を見れば判りますが、彼等の交易ネットワークは広大です。
それだけ遠方の情報を持っている。直接、足を運んで集めている。
交易所に、生情報(infomation)を持ち帰ってくれれば好い。
判断(intelligence)は、幕府側の役人が行います。それがどれだけ機能したか、と問われると疑問ですけれどね。
現に、一度は蝦夷地全土を松前藩に返還していますから。
財政的に、抱えきれるものではなかったのでしょう。
そして、当然ながら、アイヌは山丹交易から外されます。
致し方ないことです。アイヌでは真面な報告を上げられません。
でも、負債を肩代わりして貰えました。補償としては充分でしょう。
その後は皆さん、ご存知のように、清国との争いにロシアが勝利します。
アムール川流域や沿海州をロシアが抑え、
樺太は日露雑居状態となります。
日本も、明治新政府へと政権が移ると、交易から手を引いてしまいました。
※再度、引用(漢数字→アラビア数字) 海保嶺夫氏が明らかにしたように、ロシアがクシュンコタンに上陸した1853年のサンタン交易は、質量ともに非常に充実した年だった。幕府は1855(安政2)年に再び蝦夷地を幕府直轄領として、サンタン交易も幕府の管理下に置くが、その後、この年に匹敵するような量の交易はなかった。それは、交易が幕府の管理下に置かれたためではなく、
アムール川流域にロシアの勢力が侵入して、サンタン人の故郷が政治的、軍事的に不安定になったからである。さらにそれに伴い、
清朝の力が衰退し、19世紀前半までのように、錦や木綿、ガラス玉などの主要商品を十分仕入れることができなくなってきたからでもある。
※北方世界の交流と変容――中世の北東アジアと日本列島(p49-50)
佐々木史郎「サンタンとスメレンクル 19世紀の北方交易民の実像」
山川出版社2006.8.1/天野哲也・臼杵勲・菊池俊彦編……清朝に重んじられていたサンタンやスメレンクルだからこそ、
情報源としての価値がありました。でも、ロシアが支配者となれば?
彼等はもう、魅力ある「商品」を提示できません。私でも打ち切ります。
2023/2/19 不破 慈(曾祖母はアイヌ)

日本が去り、サンタンやスメレンクル達の生活は、大きく傾きました。
そもそも
当時の日本は、自分達が植民地にされないだけで精一杯です。
日本人になれたアイヌが、どれだけ幸せだったのか、というお話です。
ロシアによる先住民虐殺:シベリアジェノサイド (2022/03/07) http://fuwameg.blog.fc2.com/blog-entry-2235.html