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二番目の山羊 ~アイヌは先住民族に非ず

2008年の先住民決議は騙し討ち。2019年のアイヌ新法も不当です。 ※現在は、twitterもFBもやっていません。 【 pixiv:5770560 】

アイヌ時代は小氷期:松前藩の禁農モデルについて

松前藩による「禁農モデル」という学説があります。
単純に、アイヌに農業を禁止したという主張ではなく。



アイヌが農業に挑戦するのを
禁止した、という内容です(ー。ー;





禁農モデル  深澤(1995)
アイヌ社会においての農耕文化は擦文文化期以後アイヌ社会内の欲求により常に進展していたと考えられるにもかかわらず、「意図的なイデオロギー」によってその動きが禁止されるという、人為的行為によって阻害された結果、実践的な折衝としてアイヌ社会内で再生産され、その現象が変容した文化的要素として認められるようになったと考える。これを禁農モデルと呼ぶ。[p11より]


 擦文からアイヌ ―農耕の縮小― 総合地球環境学研究所
  東北大学大学院 国際環境研究科 深澤百合子

 https://www.chikyu.ac.jp/neo-map/file/fukasawa-01.pdf




……詳細は、上記リンク先でご確認頂きたいのですが(↑)

要は、アイヌが農業をやりたがっているのに松前藩は認めなかった
苦労して手に入れた種子も取り上げられ、農具さえも渡して貰えない。
彼等のチャレンジ精神を流言飛語まで用いて潰した、といった内容です。

 ↓↓↓


1786(天明6)年 佐藤玄六朗の報告
『蝦夷地之儀是迄見分仕候趣申上候書付』

「古来より蝦夷地において穀類を作立候儀は法度の様に相成り」
「先年イシカリと申候所の川上にて、稲を作り相応に出来在候処其段松前え相聞、領主役人より申付候哉、又は商人共の仕業の候哉、籾、種子迄残らず取り上、右作仕候蝦夷ともえは、ツクナイを出す為候由の風聞等之有り」[p12より]
https://www.chikyu.ac.jp/neo-map/file/fukasawa-01.pdf




……さて、困りました。当時、気候はどんどん寒冷化していったので。
耕作地の縮小については、考古学&古気候学での反論も可能です。
※アイヌも初歩的な農耕(園耕)なら行っていました。


 中世温暖期(擦文)⇒ 小氷期(中世アイヌ → 近世アイヌ)



でも、「言った・言わない」「やった・やらない」の次元になると……?


事件の捜査に喩えますが。考古学や古気候学は、“鑑識”の役回りです。
一方の文献史学は、“当時の証言”について取り扱う分野なんですよ。

でも、私。文献史学は、ダメダメなんです(―。―;


そんなワケで、文献史学が得意な方に、ご協力をお願いしたいのです。
被告人席で、一方的に弾劾される松前藩の“弁護”を担って頂きたく。





とは云え、全くの丸投げも無責任と思います。
そこで、私なりに仮説を一件、立ててみました。


アイヌと松前藩は、交易を行っていましたが。

米などの農産物が、松前藩側の主要な交易品なら、
種子や苗、農法(道具・技術)の漏洩を防ぐのでは?




現代でも、隣国の無断栽培が問題視されていますが。
それと同じですよ。アイヌが和人の技術を欲したなら、
交渉の上、相応の対価を支払い、指導を仰ぐ必要がある。

勿論、当時のアイヌに、そんな道理は理解できません。
読み書き算盤、一切できなかった人達なんですから。

他の、もっと単純な理由だったかも知れませんが。




以上、文献史学のみならず、商取引に詳しい方の助力も必要です。

「松前藩の方針で」「農業を教えることを禁じている」とあったので。
和人から教わらない限り、アイヌに農業が無理だったことは理解できました。

 ↓↓↓


1857(安政4)年 『石狩日誌』
松浦武四郎
(1973年丸山道子訳)

「家のそばにはムニノカン(狸豆)、マーメ(いんげん豆)、ムンシロ(粟)、リテアママ(もち粟)、ヒヤハ(稗)などを作っているが、こういう農作業は女の仕事とされている。かれらはまだ鍬を持っていないので、まさかりの側面に木の柄をとりつけて鍬の代わりに使っているが、これは松前藩の方針で、かれらに農業を教えることを禁じているので、運上屋もアイヌには鍬を渡さないためである」[p13より]
https://www.chikyu.ac.jp/neo-map/file/fukasawa-01.pdf



2023/8/19  不破 慈(曾祖母がアイヌ) ※アップ当日、引用文二箇所追加&タイトル修正

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樺太では、「農耕をやると病気になる」といった噂が流れていたそうですが。
米先住民にも、母なる大地に爪や牙を立てることを忌避する部族がいました。
一種の信仰ですね。それが迷信であろうと、狩猟採集民の世界観としてある。

[タグ未指定]
[ 2023/08/19 13:04 ] アイヌ問題 -4.DNA・人類学・考古学 | TB(0) | CM(0)

北海道で稲作が可能に:石狩川・捷水路工事(大正7~)

北の大地にコメが実るまで
 ~石狩川・捷水路(しょうすいろ)工事~


竹村公太郎著、日本史の謎は「地形」で解ける【文明・文化編】、PHP文庫20140219 ※引用

 北海道の太平洋側は米作りの気候ではなかった。夏は霧が多く北東の冷風が吹き寄せ、気温は上昇しなかった。釧路の7月の平均気温は16度、8月でも17度しかなかった。この厳しい低温の壁は稲の品種改良で乗り越えられるものではなかった。

 それに比べ西の日本海側では米がどうにか作れた。冬の雪は多かったが夏は晴天が多く、気温も比較的上昇した。札幌の7月、8月の平均気温は21度で、札幌から北120kmの旭川でも7月、8月の平均気温は20度もあった。

 米」の可能性のある日本海側、その日本海側の平野全域が石狩川の流域であった。入植者は米作りを目指し石狩平野の石狩、空知、上川地域に入っていった。

 ところが、この石狩平野では途方もない魔物が入植者を待ち受けていた。内地では見たこともない魔物であった。

 石狩平野の魔物、それは「泥炭層」であった。



 (略)
 泥炭は燃料には使えたが、稲作には適さなかった入植者たちは重労働を繰り返し、表土の農作土を他から搬入した。しかし、下層の泥炭層はいやというほど水分を含み、搬入した農作土はすぐ腐食して使い物にならなくなった。水分を含む泥炭層は雪が融けてもなかなか乾かず、初夏になり乾燥しかけてもわずかな降雨でまた元の泥炭湿地に逆戻りした。

 泥炭層の水を抜く。泥炭層の地下水を低下させる。それが入植者たちの生死の分かれ目となっていった。
 (略)


 北海道の未来がかかった困難な使命が、土木技術者たちに課された。

 彼らは徹底的な石狩川のショートカット、すなわち捷水路計画を策定した。流れにくい蛇行部をショートカットして直線にする。このショートカットは内地でも実施されている一般的な手法である。

 しかし、石狩川のショートカットは別の狙いを秘めていた。

 ショートカットすると何が起きるか。蛇行部を直線にすると流れは一気に速くなり、洪水は短時間で流れ去ってくれる。内地の河川のショートカット効果はそれまでである。

 ところが、石狩川では違う。石狩川の川底は柔らかい泥炭層である。流れが速くなると川底の泥炭は削られていく。川底が削られると石狩川の水位は下がる。水位が低下すれば泥炭層の地下水は石狩川に吸い出され、低下していく。



 その狙いは見事に当たった。直線化で石狩川の流れは速くなり、川底は水流で削られて低下していった。川底が下がると、泥炭層の地下水は次々と川に吸い出され、低下していった。石狩川の各地にはショートカットされた蛇行部の三ヶ月湖が残されている。その残された三ヶ月湖はすべて石狩川より高い位置に浮くように存在している。それが石狩川の川底が削られて低下したことの証となっている。

 土木技術者たちは、今まで苦しめられてきた石狩川の流れの力を逆に利用したのだ。


※竹村公太郎著/日本の謎は「地形」で解ける【文明・文化編】(p168-173)
 PHP文庫2014.02.19 [初出:建設オピニオン2004年10月号]






……まるで、プロジェクトXですね。

捷水路工事は、大正7(1918)年から開始され、
石狩川は、全長360km ⇒ 268kmに短縮されます。

それ以前は、泥炭層のみならず、洪水被害にも悩まされました。


最後に。再び、竹村公太郎さんの言葉を紹介します(↓)



※引用
 地球規模の人口増加と、天然資源の逼迫の未来、地球の寒冷化では人類は救われない。温暖化だからこそ救いはある。特に、南北に3000kmと細長い日本列島で、温暖化は有利に働く。なぜなら、亜寒帯の北海道が、温帯になるからだ。北海道は東北六県と北関東を合わせた広さを持っている。その全道が優良な農耕地帯となっていく

 北海道は未来の日本の切り札となる。明治以降、北海道の開拓者たちは、未来の切り札として北海道を準備してくれていた。

※竹村公太郎著/日本の謎は「地形」で解ける【文明・文化編】(p160)
 PHP文庫2014.02.19 [初出:建設オピニオン2004年10月号]




………どうか、プロアイヌや御用学者の言葉に惑わされないで下さい。
北海道開拓は、偉大な歴史です。文字通り、日本の未来を切り拓きました。




2023/8/5  不破 慈(曾祖母がアイヌ)

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私とて、開拓者の子孫の一人です。父の家系は、佐渡から北海道に渡りました。
そこに一夫一妻の配偶者として、アイヌの女性(私の曾祖母)を迎えたのです。

[タグ未指定]
[ 2023/08/05 13:15 ] アイヌ問題 -2.北海道・アイヌ | TB(0) | CM(0)
ふわふわでぇす!

ふわふわ

Author:ふわふわ
不破 慈(ふわめぐみ)

アスペルガー症候群(軽度の自閉症スペクトラム/神経発生発達障害の一系統)です。診断済み・手帳持ち。もともとは個人的なブログ(主に当事者研究やエッセイ発表の場)でした。

協会の不正を告発する砂澤陣さんの活動を知り、亡くなった父が、私をアイヌどころか北海道とも無関係に育てた理由が解りました。

父方の祖母は陸奥源氏、福島の母方は東北の蝦夷(安倍氏)。私自身は神奈川県横浜市で生まれ育ちました。


※最も解りやすいアイヌ問題
   ↓↓↓


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◆アシリ・レラについて
◆アイヌの盗作活動について


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※コメ欄にも、欄外追記として
  よく続報を書き込みます。



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