「何故、天皇陛下は、
人間となってしまわれたのですか?」先の記事で出しましたが。 ヘンリー・S・ストークス氏の著書。
第3章に、「三島由紀夫が死を賭して問うたもの」と出て来ました。
(英国人記者が見た 連合国戦勝史観の虚妄/祥伝社新書/2013.12)アタシ、小説は読まないんで。
理論学説書や、分析解析本、資料等、データとして構築に使えるものばかり。
三島さんに関しては、「何で自決?」だったのですが。
今を生きる、若い人になら。 その気持ちが伝わるでしょう。
三島さんは、命を賭けて、問うたのです。
「自衛隊の存在を否定している憲法、それを護らねばならない皮肉」
「日本の自衛隊は、実質、アメリカの傭兵である」
天皇陛下を、精神的支柱とする、我が日本の「国体」。
それが、悉く破壊されたしまったと。日本が、日本ではなくなってしまったと。
そう、叫んでいたのです。
手段が正しかった、とは、思いません。
自らが割腹しただけでなく。他者をも傷付けてしまいました。
「手段」は間違っていました。でも、その「想い」は、本物でした。
とても純粋で、崇高な、熱い志でした。
では、何故、「手段」を間違ってしまったか。
彼の目には、「英霊」が映っていたんです。
心霊現象的な事を申し上げているのではありません。
戦争を知らず、戦後の教育を受けて育った、自衛隊の若者に。
「国体を護らん」と散っていった、「英霊の姿」を重ねていたのです。
「何故、解ってくれないんだ」
「日本が、日本ではなくなってしまう」
「アメリカの属国になってしまう」
「肉体の生命は、永らえても。日本の魂が、死んでしまう」
これをそのまま、叫んでも。
極々少数の若者にしか、届かなかったでしょう。
日本を想うあまり。散っていった英霊を想うあまり。
「今を生きる」人々が。見えなくなってしまったのでしょう。
戦後、それまでとは全く違う教育を受けた人々には。
段階を追って、解り易く説明する必要がありました。
「今」を変えたいと願うなら。
「今」を生きる人々を見て、共に行かなければなりません。
もう少し、私達を見て欲しかった。
もう少しだけ、待っていて欲しかった。
たかだか、数十年です。長い歴史を思えば、取るに足りない。
世界随一の。歴史と伝統・文化を誇る我が国が。
「日本の魂」が、一時の占領政策で、喪われるはずが無いのです。
地下水のように、脈々と受け継がれて来ました。
70年。再び、桜は芽吹きました。
何故、今を共に生きて。
私達を、導いて下さらなかったのですか?
皇紀2674年4月29日
第124代・昭和天皇のお生まれになった日に 不破 慈

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