最近、保守活動・サボリー魔の、ふわふわです。
ケント・ギルバート、GHQの
日本洗脳工作について記載した公文書を入手
日本のマスコミは今でもプレス・コードを守っている (2015/04/27) http://brief-comment.com/blog/media/48226/上記リンク・あいか様宅のニュースを目にし、母の子供時代を思いました。
私自身は、1978(昭和53)年生まれの36歳ですが、
母は、戦時中の1942年(昭和17)年に生まれたんです。
戦前の事に付いても、父母や兄姉から、色々と教わっていたようなのですが。
※母の両親(私の祖父母)は明治、兄姉(私の伯父母)は大正~昭和初期生まれ
母は丁度、一番大事な少女時代に、
占領国側の、激しいプロパガンダに、晒されて育ったんです。
私への戦争教育も、凄まじかったですよ。
未就学の女の子が、「慰安婦」と云う言葉を知っていたぐらいです。
そんな事を幼子に教えるなんて、虐待ですよね。
事実、私が会話の中で、「イアンフ」と発すると、近所の大人は顔を強張らせました。
当時、私には、その表情の意味するところが、理解出来ませんでしたが。
母は、
この「幼子への虐待」を、
政治レベルで為されていたのですね。とてつもない「傷」になったと思います。
私の幼年期は、幸せでしたよ。
唯一の、ショッキングな出来事は、苛烈な戦争教育ぐらいです。
10歳ぐらいを境に、家庭環境が急激に悪化したのですけれどね。
私は、他の子達と比べると、大層、変わった娘で(笑)
ですが、母は、「お前は面白いな~♪」と、いつも笑っていました。
母自体、10人兄弟姉妹の末っ子でして。
それだけ人数が居ると、甥っ子姪っ子の数も、軽く20~30人です。
自分の産んだ子供が、変わっている事ぐらい、気にもなりませんよね。
寧ろ、親戚が集まれば、「ウチの子は面白い」の、自慢大会ですよ(笑)
※決して、「ウチの子は優秀」大会にならないのが、ミソw
え? 何で、「20~30人なのか」って?
正確な数が解らないんです。
私の従兄弟の子供が、私より年上だったりするし。
きちんとカウントした事が有りません。
母の田舎は、親戚じゃなくても、「アベ」ばっかだしw
⇒
アベ姓は、純然たる日本の氏。(2014/05)2015/04/27 不破 慈

母の凄いところはですね、それでも決して、
「国の為に戦った兵隊さん」を貶めて見なかったところです。
国の為に戦った人は、尊いのです。
自衛隊の皆様に、いつも感謝と尊敬の念を向けていました。
あれ? これ、どのカテに入れれば良い?( ̄∀ ̄;「女性の人権」、
「子供の人権」とでも、叫びましょうかw
- 関連記事
-