「男なんて!」と罵倒しながら、
ミニスカートで、くの字に開脚。「そのレベル」が、寄って来ますよね?大人になって一人暮らしを始めるまで、
ずっと、ブラジャー禁止されてたんですよ。
私は成長期も早かったので、
小学校の高学年時には、既にD~Eカップに達していました。
そんな胸の大きな女の子が、ランドセルを背負い、
夏場に薄手のTシャツ一枚で、ノーブラ登下校です。
今だったら、見付けた誰かが、
児童相談所に通報してくれているかも知れません。
ですが、子供の私には為す術も無く。
採った対策が、「男っぽく振舞う」でした。
兎に角、女の子と認識されないよう、死に物狂いで努力したんです。
中学に入ってから、眼鏡が必要になり、
「これ幸い」と、黒縁の男の子みたいなデザインを選び、顔も隠しました。
一人称には、「俺」を使い、気合と根性の塊。
グレたワケでは無く、寧ろ、先生方からも一目置かれる、優等生でした。
男子からは、「男の中の男」との賞賛を勝ち取りました。
大部分の女子からも、同じ評価。
でも、時々、言われるんです。
「本当は女の子らしいと思うんだけど?」 首を傾げて。
私は、危機を感じ、焦りました。
「おかしいな、何が足りないんだろう???」
で、冒頭のエピソードなんです。
フリルのブラウスにミニスカート、
髪を綺麗に結い上げ、きちんとお化粧もし、
可愛いデザインのヒールを履いた女性が、大股で座り、
オランウータンのように手を下げているのを見て、漸く理解しました。
どんなに繕っても、ちゃんと「バレる」んですね。
ましてや、私の場合、「女の自分を護る為」、
「男っぽさ」を、鎧として纏っていたのですから。
女の子は、凄いと思います。
私が心理学知識を総動員して、何とか近い事をやっているのに対し、
人間の微妙な動きを、中学ぐらいの年齢でも気付き、見抜いてしまう。
だからこそ、女性が、
家庭と云う、人間関係の土台の要(かなめ)足り得るのだと思います。
2015/09/04 不破 慈

補足しておきますと。
母は、淋しい少女時代を過ごしたんですよ。
母の直ぐ上の姉が、身体が弱く、病気がちで。
家族全員の注意が、末っ子の母より、その姉に向いてしまう。
何時まで経っても、父に可愛がられ、
母の兄姉からも、歳の離れた一番下の姪っ子として、孫のように愛され。
従兄弟達からも、妹と云うより、子供の一人として可愛がられる。
虐待の正体は、「嫉妬」であり、「復讐」です。
ヤキモチ・憂さ晴らし。……復讐する相手が違うと思いますが(笑)
変に強がらず、「淋しかった」と云う自分の気持ちに向き合えば、
娘を苦しめる事も、家庭を壊すに到る事も無かったでしょうに。
にしても。
子供時代の私、よく変質者に強姦殺害されませんでしたね。
25年前、四半世紀ですか。日本は今よりも安全でした。
- 関連記事
-