計算、間違えてました(^▽^;「曾祖母がアイヌ」だったんだから、
16分の1じゃなく、8分の1ですよね?曾祖母(アイヌ100%)
↓
祖父(アイヌハーフ)
↓
父(アイヌクォーター)
↓
私(ワンエイス)
だから、横浜でラテンクォーターさんに会った時、
「やたら親父クサイな」……って、そういう意味じゃなく!( ̄〇 ̄;
アレ? じゃ、この人達は???
アタシより年齢や世代が上なのに、アタシより血が薄いの???

チベット・ウイグル・南モンゴル弾圧の中国人委員と、仲睦まじいご様子。
で、ここからが、ちょっと真面目な話。
現在、北海道以北に住んでいた
土着の人々を、
大雑把にアイヌと呼んでいます。
ですが、その血筋は多様であり、
古くから大和朝廷に阿っていた人々や、抗日の姿勢を取っていた人々。
立場は様々です。
で、実は、私の祖母。
つまり(曾祖母から見て)、
アイヌハーフの息子に、嫁いできた嫁。
旧姓が「源」なんです。
「義経の子孫?!」とか云う類の話じゃないですよ?( ̄∀ ̄;
そもそも、源氏の始まりは、
嵯峨天皇の代に、臣籍に降った皇子女です。
その数、なんと、32名!!
※嵯峨源氏だけでですよ?ウィキで良さそうな解説を見つけたので、借りて来ました。
(引用)嵯峨天皇の後の天皇も度々皇族を源氏として臣籍に下したことから、嵯峨天皇を祖とする源氏を嵯峨源氏と称する様になり、以後源氏はそれぞれの祖と仰ぐ天皇の号をもって氏族の称とした(仁明源氏、文徳源氏、清和源氏、宇多源氏など)。また、朝廷が皇族を臣籍降下させ源氏とした背景としては上級貴族として皇室の藩塀とすることという理由もあった。しかし実際には3代目以降も上級貴族であり続けた例はほとんどなく、大半は受領階級として地方へ赴任しそこで土着して武士化するか、中央で中下級貴族として細々と生き延びた。他に皇族に対して賜った姓としては、在原朝臣・平朝臣などがある。(ここまで)https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%BA%90%E6%B0%8Fそんなワケで、我知らずとも、
源氏の血を引く人は、日本国内に星の数ほど居ます。
ここが、ヨーロッパの王族とは異なる点ですよね。
日本は、君民の距離が非常に近い。
西洋では、諸外国の王族との親戚縁戚関係です。
だから、領民より、隣国の王族との付き合いが大事なんです。
で、祖母から旧姓の話を聞いた時は、
「明治の届出で、適当に名乗ったんじゃ?」と訝しんでました。
そうしたら
、シベリア帰還兵のお爺さんから、
(←文字リンク)「名乗れるだけで大したもの。何等かの縁がないと無理」と言われ。
保守を自称しながら、
皇室への敬意が足りない自分を反省。(_ _;)
で、そこから考えると。
私の曾祖母の行動にも合点が行くなぁ、と。
曾祖母が、抗日の姿勢を貫いていた側の娘だったとすると。
「源の嫁」なんて、トンデモな存在ですよね。
だから、自分によく似た孫
(私の父/次男坊)に固執したのかな、と。
とは言っても、やはり母親から引き離すのは良くないですけど……。
若い頃、父は相当にグレていたみたいです。
宇梶剛士さんほどの大物ではなかったけれど( ̄∀ ̄;
※コレも一種の愛着障害(問題)でしょう。
そんなワケで……、
タイトル、どうすんべ?( ̄∀ ̄;2016/03/10 16分の1じゃなく、8分の1アイヌだったふわふわ
※翌11日、文字リンク等追加・加筆修正

現在、反日行為に勤しんでいる協会が、
抗日アイヌの子孫かと云うと、そんな事は無いんです。
松前藩による統治時代、役人として取り立てられるアイヌが居ました。
※役土人制(やくどせい)酋長は、数十人も妾を囲って、ブイブイ言わせてたらしいですよ?
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