北海道厚真町で出土した常滑焼壷。
12世紀、奥州藤原時代の遺物で、
アイヌが登場する100年も前の品です。今回は、より史料が揃う時代のお話です(^^)
北海道厚真町で出土した常滑焼壷。
コレは
平泉仏教文化において、経塚に用いられた壷です。
書き写したお経文を壷に入れ、土中に埋めてから石塔を建てるんです。
そうして、その土地の万物諸霊を供養するんですね。
で、その出土した壷は、約850年前の製作と見られています。
勿論、常滑焼ですから、愛知県の常滑市。知多半島ですね。
中世最大の窯業地で、言い換えれば、最高の品だった、と云う事。
で、勿論、こういった反論も出てるんですよ?
「壷が出て来ただけで、藤原氏の勢力圏と言えるのか?」
「アイヌが、和人との交易で、独自に入手した!」
では、こちらはどのように説明するのでしょう?
函館市の船霊神社 1135年(保元元年)創立少なくとも、12世紀、
道南部では和人が生活していたのです。
東北の蝦夷(私の母方の祖先)と、
アイヌ集団の違いを理解する為にも、
ここで奥州藤原氏の成立を振り返ってみましょう。
2011年6月、世界文化遺産に登録された岩手県平泉。
その
中尊寺金色堂は、国宝・第一号の指定でもあります。
今から300年前、この地を訪れた芭蕉は詠みました。
五月雨の 降り残してや 光堂 (おくのほそ道より)1124年、初代・
藤原清衡によって建立された金色堂。
三代までの遺体と、四代・泰衡の首級が安置されています。
初代・清衡は、
安倍貞任の甥子です。
【過去記事リンク】 :
安倍貞任までアイヌ民族?!(゜〇゜;http://fuwameg.blog.fc2.com/blog-entry-1641.html清衡の父・藤原経清は、
今の宮城県亘理郡一帯を治めていました。
古くは摂関家にも繋がる血筋だったようですが、
その頃は軍事貴族として地方で活躍していたのです。
※亘理権太夫(わたりのごんのたいふ)安倍貞任の妹を娶り、清衡が生まれます。
朝廷から派遣された人間、全員が全員、
蝦夷と敵対しようとしたワケではないって事です(^^)
※ここからは趣味も入っているので、ザッと目を通して頂ければ結構です。後に貞任が命を落とす事になる、
前九年の役(1051-62)。
藤原経清は朝廷軍を見限り、安倍側の陣営に走ります。
同じく、安倍の娘婿であった平永衡が、
朝廷軍の大将であった源頼義に、斬り殺されてしまったのです。
乱の只中、1057年に、貞任の父・頼時が討死。
家督を継いだ貞任も、1062年、
厨川の柵で深手を負って捕らえられ、
頼義の前に引き出されると、間もなく息を引き取ります。
藤原経清に対しては、最も凄惨な処刑が行われました。
刃がボロボロに欠け、鋸状になった刀で、
首をじわじわと、挽き斬りにされたのです。
その間、経清は、悲鳴一つ漏らさなかったと伝えられます。
貞任の嫡男である、13歳の千世童丸も処刑。
貞任の弟達を始めとして、
安倍の主だった者の処罰は朝廷に委ねられ、
伊予国(四国・愛媛県)へと流されました。
安倍氏(陸奥臣)の終焉です。
幼かった清衡は母と共に生き残り、父の遺志を継ぎます。
そうして、20年を経た後の、
後三年の役(1083-87)。
妻子を殺害され、苦悩に打ちひしがれながらも、
藤原氏を再興させ、平泉100年の土台を築き上げました。
一方、伊予に流された
安倍一門は、
その頃、
大宰府(九州・福岡県)へと配されていました。
二代・基衡は、
貞任の弟・
安倍宗任の娘を妻に迎え、三代・秀衡が生まれます。
この辺りまで来ると、皆さんもよくご存知でしょう。
秀衡の時代に、
源義経を匿った咎で、藤原氏は
頼朝に滅ぼされます。
平安末期、西日本一帯を平氏が、
関東を源氏が、東北以北を、藤原氏が治めていました。
義経は、ダシに使われたのです。
実の弟をダシ(-。-;その500年後、平泉の古戦場に立ち、芭蕉は詠みます。
夏草や 兵共が 夢の跡 (おくのほそ道より)
以上、完全に熱が入っております。
貞任さんと経清さんは、私と母のヒーローなのです(*^^*)
興味が有る方は、岩手県在住の作家、
高橋克彦先生の長編小説、「
炎立つ」をご覧下さい。
1993年には、NHKで大河ドラマ化されました(^▽^)
2016/05/25 不破 慈(ふわめぐみ)
※27日、加筆修正
【補足】貞任の父・安倍頼良(頼時と改名)は「
太夫」と呼ばれていました。
最下級ながら冠位も与えられ、内裏に出入りできる身分です。
「
阿倍陸奥臣」が、奈良時代の後半、
土着の豪族に下賜された臣姓で有る事を考えれば、自然です。
https://twitter.com/nibanmenoyagi/status/735306497614303232
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