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二番目の山羊 ~アイヌは先住民族に非ず

2008年の先住民決議は騙し討ち。2019年のアイヌ新法も不当です。 ※現在は、twitterもFBもやっていません。 【 pixiv:5770560 】

【 #アイヌ 】 蝦夷と朝廷 ~アテルイはアイヌに非ず

大墓公アテルイ、81KB

アテルイさん、素敵★
キャー、格好良い!(*^▽^*)ノ



大墓公アテルイ、253KB ←大きくして見たい方はこちら(253KB)



写真は都内の某駅で見付けた、
大墓公(たものきみ)アテルイ(?~802)。
朝廷から大墓地域一帯を任されていたので、こう呼ばれます。

岩手県奥州市には、跡呂井(あとろい)と云う地名が残っていて、
付近には角塚古墳(5世紀末/前方後円墳)も存在します。
恐らくは、コレが「大墓(たも)」と云う地域名の由来かと。

つまり、200年以上前にヤマト化した地域の責任者であり、
どう考えても、アイヌ≪民族≫には該当しないでしょう。

拙宅で何度も書いている通り、アイヌ登場は13世紀。
詳しくはサイト上部・横並び6件の記事からどうぞ★




そして今回、こんな頁を見付けました。

アテルイを顕彰する会  http://aterui8.jp/
情報20 「アイヌ民族のアテルイ慰霊祭に疑問」  (2012年12月10日付、全文)
当会の会員でもある及川洵氏が『胆江日日新聞』に寄稿し、平成6年12月29日付の同紙に掲載された。及川氏は、「アテルイをアイヌ人の祖先であるとすれば、蝦夷=アイヌ人...になるが、...アテルイを研究し、遺跡を調査研究している者として疑問を感じざるをえない」とし、【1】アイヌ語地名の「ナイ」、「ベツ」の分布は、「盛岡以北に多く、胆沢地域はまばらである」こと、【2】北海道の後北式土器についても「水沢市内では石田遺跡から二片発見されているのみで、同時期の土師器の多量な出土にくらべ問題にならない」こと、【3】「縄文前期~中期(六千~四千年前)岩手県北から北海道渡島半島にかけて同筒下層、上層式土器群が展開したが、胆沢地域は大木式土器群が展開し、全く異なる文化圏を形成している」こと、などから、「後期旧石器時代(三万年前)以降、縄文早期の一時期を除き、他の縄文時代、弥生時代、古代に至るまで、北海道文化圏と胆沢文化圏が同一になったことはない」と、断じている。古代蝦夷(エミシ)がアイヌ民族であるか、どうかは、これまで多くの学者が研究し、論争を行なってきたものである。及川氏は、「思いつきやムードではなく、純粋に学問的に考えて頂きたい」と結んでいる。
http://aterui8.jp/history/info/aterui_info027.html








さて、前回からの流れも手伝って、再び、
北海道(エゾ)の父ではなく、東北の母方(エミシ)です。


780年、最前線の伊治城(宮城県栗原市)に、
陸奥守・紀広純(きの・ひろずみ)が出向いて来ました。
東北全体を統括していた高官(按察使/あぜち)です。

これを討ったのが、伊治公呰麻呂(これはりのきみ・あざまろ)。
伊治郡の大領(だいりょう/郡領)です。

伊治城は767年、朝廷が蝦夷達の墓の上に築いた城です。
近年の考古学調査で、複数の墳丘墓跡が出土しました。
勿論、「続日本紀(しょくにほんぎ)」に、築城の経緯は記されていません。


ただこの時、広純さんの下にいた
大伴真綱(まつな)さんは助けられてるんですよ。
真綱さんと、石川浄足(きよたり)さん。



「石川」 ← 蘇我系です。







さて、調査不足のままアップした過去記事の、補足と修正をさせて下さい。
過去記事リンク:阿倍会津臣と阿倍陸奥臣
http://fuwameg.blog.fc2.com/blog-entry-1642.html


ただ、会津臣と陸奥臣は、私の創作ではないですよ?

あべし[阿倍氏] ※項目末尾、抜粋
 なお中央豪族の阿倍氏に対し、奈良時代後半以降、陸奥南半部の丈部・大田部・矢田部などの部姓氏族や丈部臣・丈部直・陸奥臣・奈須直・磐城臣など、在地の有力氏族に、阿倍(安倍)陸奥臣・阿倍会津臣などの復姓が与えられた。復姓の下半部は、居住地にもとづくものが多い。かつて中央豪族の阿倍氏が丈部を管掌する伴造氏族の一つであったことにもとづくが、いずれも臣姓であり、阿倍氏(阿倍朝臣)と同族的結合は生まれなかったと考えられる。
[日本古代史大辞典/大和書房]


***


過去記事の中で、母方の一族(東北の阿倍)が、
越(北陸)から福島に入ったってお話をしましたでしょ?

古代史に詳しい人なら、四道将軍の話を思い出したかと。
北陸道を進んだ大彦命(オオビコノミコト)と、
東海道を進んだ息子・建沼河別命(タケヌナカワワケノミコト)が
バッタリ出くわして、「会津」と。 ※武停名川別命とも書く

んで、大彦命阿倍氏の祖神ですが。
会津盆地では、弥生時代の遺跡から北陸系の土器が見付かり、
古墳時代前期には、大型の前方後円墳が出現しています。
※会津坂下町・亀ヶ森古墳/会津若松市・会津大塚山古墳



神話だ、伝承だと、バカに出来ないんですよね。
一面の事実を孕んでいたりします。どう解釈するかです。

まぁ、同じ阿倍を許されるとは言え、
継体天皇に随伴したのは、越国の中でもエリートでしょう(笑)







そして、考古学ファンには常識なのであろう、コレ!


幻の東北遠征軍(太平洋側)


7世紀中葉(658~)、
日本海側を阿倍比羅夫(ひらぶ)将軍が船で北上しましたが。
太平洋側を、陸路で北上した一団が在ったそうです。

勿論、日本書紀には記されていません。
考古学の調査により、明らかになった事。

……阿倍比羅夫将軍の場合、蝦夷と宴会しただけですが(^^;



で、この遠征軍の責任者が、
藤原鎌足(614~669)ではないか、と云うお話。

死の床に在って、天智天皇に申し上げているのですよね。
『私は国の軍事に責務を果たしておりません』


息子である藤原不比等が、日本書紀を改竄したとは有力な説。

書記では大きく扱われる、蘇我馬子が守屋を討伐した事件も、
当の物部系が遺した歴史書・先代旧事本紀には記されていません。
※(せんだいくじほんぎ)

しかも、馬子の息子・蘇我蝦夷の奥さんは、物部の女性で、
その二人の間に生まれたのが、後に鎌足に殺される蘇我入鹿です。
※物部鎌姫大刀自(もののべの・かまひめ・おおとじ)
  刀自は高齢の女性に対する敬称




正史とは、時の為政者によるプロパガンダ。
私達も、「隣の正史」に悩まされているでしょう?








さて、先に触れた大伴氏。
蝦夷の反乱は、後に呰麻呂⇒アテルイへと受け継がれますが。


782年、大伴家持が征討軍の将として据えられます。
そう、万葉集の歌人として有名な、あの家持さん。

そして東北の地で世を去るのです。
785年8月、68歳でした。  ……もう朝廷内のイジメですね。


ところが、討死ではないのです。
そもそも、戦闘らしい戦闘をしていない。



その死の翌月、
大伴氏一族の二名が、藤原種継を射殺。
種継(たねつぐ)は、桓武天皇の側近です。


後の調べで、暗殺の背後には
家持がいた事が判明しました。









結びに、読売新聞記者・岡本公樹さん(本籍・福島市)の著書から。
大震災の後、縄文からの東北史・二万年を一冊に凝縮して下さいました。


(一部引用) ※改行を加えてあります

この章の最後に、
各地に移住させられた蝦夷たちの
誇りある実像を紹介したい。

田畑を与えられず、
苦しい生活を強いられた蝦夷は、
山や海で狩猟生活も営んだ。

その姿を見た現地の役人たちはたびたび
「やはり蝦夷たちは野蛮だ」と報告した。
こうした記録から「東北の民は狩猟民族」という誤解がいまも根強い。


しかし、宮城県出身の鈴木さんが、
蝦夷たちの行動をつぶさに追ったところ、意外なことがわかった。


戦闘能力が優れていた蝦夷たちだったが、
苦境になってもいきなり武器を取って反乱を起こすのではなく、
越訴(おっそ/告発)」という平和的な手段で
問題を解決しようとしていたことが浮かんできたのだ。

こうした手続きを経ても
政府などが動き出さないとわかってから
初めて武力に頼ったのだ。

彼らの行動に敗者としての卑屈さを感じとることはできない。
終戦からおよそ千二百年、蝦夷の実像の解明と、名誉回復は始まったばかりだ。


(引用終了、東北 不屈の歴史をひもとく/岡本公樹/2012年、講談社)





2016/07/26  不破 慈(ふわめぐみ)

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【豆知識】 桓武天皇の生母・高野新笠(たかのの・にいがさ)

一頃、物議を醸し出した渡来系(帰化)子孫の姫君(?)です。
ただ武寧王に、「純陀」と云う名の太子が確認できません。
姫の生家が、武寧王(462-523)の子孫と称している……だけ。
※和史(やまとのふひと/氏が「やまと」、姓が「ふひと」)

姓(かばね)の「史部(ふひとべ)」とは、
書記職の事で、大陸・半島からの渡来人に与えられました。
「帰化して天皇に仕えていた。もう日本人だろ?!」って感じですが。
生母の身分としては低いので、通常なら皇位は望めませんでした。

ちなみに、今から2500年前のインドで、
釈尊に最期の供養をしたのが、鍛冶屋の青年・純陀です。



 https://twitter.com/nibanmenoyagi/status/757914635932622848
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[ 2016/07/26 21:12 ] アイヌ問題 -3.東北・蝦夷(母方) | TB(0) | CM(0)
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Author:ふわふわ
不破 慈(ふわめぐみ)

アスペルガー症候群(軽度の自閉症スペクトラム/神経発生発達障害の一系統)です。診断済み・手帳持ち。もともとは個人的なブログ(主に当事者研究やエッセイ発表の場)でした。

協会の不正を告発する砂澤陣さんの活動を知り、亡くなった父が、私をアイヌどころか北海道とも無関係に育てた理由が解りました。

父方の祖母は陸奥源氏、福島の母方は東北の蝦夷(安倍氏)。私自身は神奈川県横浜市で生まれ育ちました。


※最も解りやすいアイヌ問題
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