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二番目の山羊 ~アイヌは先住民族に非ず

2008年の先住民決議は騙し討ち。2019年のアイヌ新法も不当です。 ※現在は、twitterもFBもやっていません。 【 pixiv:5770560 】

【 #アイヌ 】 奥州藤原氏までアイヌ民族?(゜〇゜;

戦前、奥州藤原氏を
アイヌ民族とする説が存在。


1950(昭和25)年、
中尊寺金色堂に安置される
藤原四代のミイラが科学調査され、
この説は完全に覆ります。




次に白羽の矢が立ったのが安倍貞任でした。

前九年の役で、貞任は敗死しましたが、
弟達は生き残り、大宰府へと配流されています。




※前九年の役(1051-62)……源頼義率いる朝廷軍と蝦夷の戦い



 過去記事リンク:安倍貞任までアイヌ民族?(゜〇゜;
 http://fuwameg.blog.fc2.com/blog-entry-1641.html








“かつては、安倍貞任のみならず、
 奥州藤原氏までアイヌ民族と考えられていた。”



上記を知った時、私は図書館にいたのですが。
危うく、叫びそうになってしまいました……。

コレ、中央の学者が本気で言っていたんですか?
最初から、蝦夷のアベを訪ねれば良かったのに。
東北に残ったのは、母の家系だけじゃないし。



拙宅で何度も書いておりますが、
奥州藤原氏・初代清衡は安倍貞任の甥子。


万が一にも、貞任がアイヌであるなら。
清衡はアイヌハーフでなければなりません。



過去記事リンク:12世紀、道南は奥州藤原氏の勢力圏
http://fuwameg.blog.fc2.com/blog-entry-1643.html#more



つまり、自らの非を認めたくない研究者(?)が、
苦し紛れに提示した「安倍貞任アイヌ民族説」は、
1950年の段階で、同時に否定されていたのです。



そこから考えて。
今やっと、論争のラインが
大墓公アテルイまで後退したって事なのでしょうね。

写真は都内の某駅で見付けた、大墓公(たものきみ)アテルイ(?~802)。朝廷から大墓地域一帯を任されていたので、こう呼ばれます。岩手県奥州市には、跡呂井(あとろい)と云う地名が残っていて、付近には角塚古墳(5世紀末/前方後円墳)も存在します。恐らくは、コレが「大墓(たも)」と云う地域名の由来かと。つまり、200年以上前にヤマト化した地域の…
【 #アイヌ 】 蝦夷と朝廷 ~アテルイはアイヌに非ず







コレつまり。日本文化なら何でも、
中国・朝鮮由来とする戦後教育と一緒です。

東北の文化は何でもアイヌ由来、みたいな?


戊辰戦争で敗けたでしょ?
以来、東北では、現代日本と同じ状態が続いていたんです。



東北を軽んじた結果が、
誰彼構わずアイヌ民族に引き抜かれ、
先住権を主張されると云う、現在の異常事態。

国民総出で、隙を作ってしまったんです。

読書き算盤、一切出来なかったアイヌが、
最初にこんな事を言い出す筈は無いんですから。







ですが、自らを、ただ単純に
「被害者」と位置付ける事はお奨め出来ません。

そこには、心理学的な作用(罠)が潜んでいるからです。


「被害者」から導き出されるキーワードは何でしょうか?

「弱者」「無力」「可哀想」「助けてもらう必要のある人」
「助けてもらえない限り、自分では現状を変えられない人」




自称アイヌ民族と、隣の韓民族が、ドツボに嵌っているでしょう?





一種のピグマリオン効果です。  ※心理学用語


悲観的な予言や思い込みで、暗示がかかる事により。
それが現実化され、抜けられないループへと発展するんです。

その逆もまた然り。


コレが、障害者でも貧乏人でも、ダメンズウォーカーでも同じ事。
問題を過剰に意識する事で、更に事態を悪化させてしまうんです。



故に、仏教では、「執われ(囚われ)るな」と説きました。








2016/09/09  不破 慈(ふわめぐみ)  ※同月12日、タイトル変更&本文末尾修正

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以下、史料として、3件+α(アルファ)。

藤原清衡  (1056~1128)
平安後期の奥州の豪族。奥州藤原氏初代。
父は藤原経清、母は安倍頼時の女。
後三年の役で勝利して後、摂関家への貢馬を始め、
平泉に居を移し、奥六郡と出羽山北を領するようになった。
平泉移住から晩年にかけて中尊寺を整備。
同寺金色堂にミイラ化した遺体が安置されている。

安倍貞任  (?~1062)
平安時代中期の陸奥国の豪族。
厨川二郎と称した。奥六郡俘囚長安倍頼時の子。
前九年の役では、父頼時の戦死後も源頼義と戦い圧倒したが、
出羽山北の清原氏が頼義に味方したため形勢が逆転し、
1062(康平5)年に敗死。

安倍宗任  (生没年不詳)
平安時代中期の陸奥国の豪族。
鳥海三郎と称した。奥六郡俘囚長安倍頼時の子。
前九年の役では兄貞任等とともに源頼義と戦ったが、
1062((康平5)年に降伏し、伊予国に配流され、のち大宰府に移された。
宗任の娘は藤原基衡の妻となったという。

※俘囚≒蝦夷/頼時の子は12人。


そしてこちらは中央の安倍さん。

安倍清明  (921~1005)
平安時代中期の陰陽家。父は益材。同じく陰陽家として著名な吉平の父。陰陽師・天文博士などを歴任し、天文密奏・地相鑑定などにしばしば活躍した。時代は摂関政治最盛期にあたり貴族たちの生活万般に関与、出産のための祓い、怪異出現の際のト占、外出日の吉凶判断、宮廷行事の日時の選定など、あらゆる行動に規範を示す役割をはたした。長命なこともありその行動例は多く、賀茂光栄とともに陰陽道全盛を築いた。道長の信頼をえて、木幡寺(浄妙寺)の寺地の選定にもあたった。その広範な活躍は後年にいたり、神を使ったとか天狗を封じたとかの荒唐無稽なものまで含め、さまざまな伝説を生みだした。


平安時代は、「安倍」と書くのが主流だったんですね~★(^▽^)ノ


以上4件、日本古代史大事典(大和書房)より。
※漢数字をアラビア数字に、改行も加えました。

 https://twitter.com/nibanmenoyagi/status/775194307212955648

初回ツイート・控え https://twitter.com/nibanmenoyagi/status/774096028223975426
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[ 2016/09/09 13:00 ] アイヌ問題 -3.東北・蝦夷(母方) | TB(0) | CM(0)
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Author:ふわふわ
不破 慈(ふわめぐみ)

アスペルガー症候群(軽度の自閉症スペクトラム/神経発生発達障害の一系統)です。もともとは個人的なブログ(主に当事者研究やエッセイ発表の場)でした。

協会の不正を告発する砂澤陣さんの活動を知り、亡くなった父が、私をアイヌどころか北海道とも無関係に育てた理由が解りました。

父方の祖母は陸奥源氏、福島の母方は東北の蝦夷(安倍氏)。私自身は神奈川県横浜市で生まれ育ちました。


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