私の母は、昭和17年の生まれです。
10人兄弟姉妹の末っ子。
勿論、祖父母は明治の人間。母も私も、遅い子供でした。イジメをテーマに、次回(予定)まで続けますが、先ずは前記事の補足的に。
答えなんて、聞くまでもないし、言うまでもないと思います。前者はですね、戦前の先生なんですよ。御歳91の、シベリア帰還兵に教えて頂きました。※北海道出身 驚いていらっしゃいましたよ。現代における、アイヌ≪民族≫達の活動を知って。「アイヌ差別なんて、無かったですよ。そんな事をしたら、先生にゲンコツを...
【 #アイヌ 】 いじめ① ~戦前の先生と戦後の先生、対応の違い
私は父方から、アイヌの血を8分の1、受け継いでいます。
ですが、その事で差別を受けた事はございません。
この活動を始めてからは、「民族屋さん」が五月蝿いですが横浜で生まれ育ったと云う、地理的な条件も有るでしょう。
ただ一方で、「障害者としての差別」なら、経験がございます。
「脳がアレな人って、夜の感じ方が違うんだろ?」
初老の男性でした。
危うく、「オッサンの脳がアレだよね?」と
返しそうになりましたが、そこは私もイイ大人なので(^q^)
「他の方になった事がないので、
存じ上げませんけれど?」とだけ、答えておきました★
さてさて。
“障害もないのに脳がアレな人”を基準に、日本社会を語る事は不当です。
ですので、以下は、私の中学校時代のお話。
私自身が、神経発達障害を抱えていると、未だ気付いていなかった頃。
中三の時のクラスに、知的障害を抱えた男の子がいました。
私が通っていた学校には、相談学級が在りました。
その子も、そこに通えれば、ストレスのない三年間だったと思いますが。
親御さんが、頑として、普通級に押し込めていたのです。
本人のレベルに合わせた指導の方が、将来的にも伸びるのですが。
肝心の親がモンスターでは、学校側も大変だったと思います。
しかし、校内のイジメを放置して良い理由には成りませんね。
私がいつものように、下校時刻まで図書室に入浸っていた日。
廊下を通り掛かると、件の男の子が、座り込んでいました。
大量の数学用教材を前にして。
「どうしたの?」と訊ねると、
「皆に任された」と言うのです。
どうも、この大型の教材をまとめて、
職員室まで持って行けば良いみたいなのですが。
それを数人の男子生徒から、
「お前なら出来る」と、押し付けられたらしく。
いったい、何十分、否、何時間そうやっていたのか。
頭を抱えてしまいましたが、目の前の男の子に
“犯人”の悪口を吹込んでも仕方ない。
(正当な批判ではありますが)「そうか。皆に任されたのね。
でもそれ、私でも出来るから。もう遅いし、君は帰りな。
下校のチャイムが鳴ったでしょう? また明日、学校でね」
「うん!」と元気に返事して、その子は帰り、
私は教材をまとめて、職員室まで届けました。
似たような事は、ポロポロと有ったんです。
『障害者って、手とか足が不自由な人の事でしょ?』
――――お前が知能検査を受けて来い。
『どうせ、先生は知ってて見ないフリだろ?』
――――判ってんなら、イジメんな!
実は、私がいつも一緒にいた女の子も、
標的(ターゲット)にされていたんですよ。
空気を読む能力がないお陰(?)で、
ずっと気付かずにいたのですが。
私と一緒にいる限りは、基本的に誰も手を出して来ません。
力関係だけは、正確に読み取っていますね。
この三年次のクラスに関しては、私も投げていました。
一学年・二学年では、良い先生に恵まれていたのですが。
小学生の頃から、
学校で有った事、見た事・聞いた事を報告する度、
母は必ず、話の最後に、こう付け加えました。
「お前は優しくして上げなさい」
2016/10/13 不破 慈(ふわめぐみ)
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