日本に併合される以前のアイヌって?同化政策で公教育を受ける以前の
アイヌについて知る手掛かりが有ります。ウラル以西か以東かは不明ですが。
1920年代、奥地のロシア人に関する記録。長くなりますが、以下、引用です。
(改行を加えました)
1920年代におこなわれた、ロシア人への
魚とカラスの分類に関するインタビューの記録が残っている。
彼らは、近代科学が成り立つ前の隔絶された環境で暮らす人々だ。
問い:魚とカラスの共通点は何だい?
答え:魚は水のなかに棲む。カラスは空を飛ぶ。
魚が水面すれすれを泳いでいたら、カラスは捕まえることができる。
カラスは魚を食えるが、魚はカラスを食べない。
問い:魚とカラスを一言で表現すると?
答え:動物は正しくない。魚は動物ではないし、カラスも違う。
カラスは魚をついばむけれど、魚は鳥を食べられない。
人間は、魚は食べてもカラスは食べない。
動物と答えを口にしながらも、その正解を受け入れようとしない。
今日の私たちは科学的分類に慣れているから、
魚とカラスの共通点は動物だとわかる。
(中略)
次は、ラクダとドイツに関するインタビューである。
抽象的な事柄を、論理を用いて分析しようとしたものだ。
問い:ドイツにラクダはいない。B市はドイツの都市だ。
では、B市にラクダはいるか、いないか。
答え:ドイツの村を見たことがないからわからない。
大きな街ならラクダくらいいるだろうさ。
問い:でも、ドイツのどの場所にもラクダはいないとしたら?
答え:そこは小さな村で、ラクダには狭いのかも知れないな。
今日の私たちなら、「B市にラクダはいない」と即答できる。
だが、具体的な世界で生きている人にとっては難しい。
それは経験不足のせいではない。
ドイツにラクダはいないものとして、問題を抽象的に扱えないからなのだ。
(引用ここまで) なぜ人類のIQは上がり続けているのか? 人種、性別、老化と知能指数
著者:ジェームズ・ロバート・フリン/訳:水田賢政/解説:斉藤環
(2015年5月、太田出版)
誤解しないで頂きたいのですが、
このロシア人は極々一般の人物です。
遺伝的に問題を抱えているワケでも、何でもない。
教育を受ける・受けないの以前に、
近代社会から隔絶された環境で暮らしている、と云う前提は有ります。
ただ、現代の私達であっても、
幼少から同じ環境に放り込まれれば、こう成るんです。
だって、何の意味も無いじゃないですか。
鳥や獣・魚を獲って暮らす生活に、「哺乳類」だの「鳥類」だの。
そういった生活において重要なのは、
如何に獲物を矢で射落とすか。如何に的確に銛を打ち込むか。
使わない知識ですから、発達のしようが無いんですね。
ただ、それでは当時の社会情勢を生き抜けない。
欧米が世界を蚕食する時代にあって、見逃しては貰えません。
事実、
ロシアでアイヌは奴隷として売買されていました。
特にアイヌ女性は、
犬一匹より安い値段で取引されたそうです。
チェーホフが書き記している事です。
日本では、明治に入って間もなく、
新たに国民となったアイヌへの教育が実施されました。
1880(明治13)年には、平取に小学校が設置。
1920年代(大正末)には、
アイヌ児童が学校で勉強するのが、当たり前の風景に成っていました。
言語学者の
知里真志保先生が、明治42年の生まれですから。
将来、
東大を卒業するような方が、既に育っていたのです。
1872(明治5)年の東京への就学を指して、
「先住民の子供を引き離した!」と騒ぐ方がいらっしゃいますが。
当時の13歳は、子供じゃないですよ?
皆さん、子供の頃、「赤とんぼ」を歌った経験が有るでしょう?
その歌詞に、「十五で姐や(ねえや)は嫁に行き」と有りますね。
当時は数えの年齢ですから。
この「十五」は、13~14歳です。
今だって、寄宿舎に入る子がいますよね。
そしてこの時の東京就学は、アイヌ男女合わせて計35名。
下は13歳から、上は32歳まで。
立派な大人が一緒なんです。
何の危険が有りますか?
2016/11/15 不破 慈(ふわめぐみ)
開拓使仮学校芝増上寺境内に設置され、後に北海道へ移転。
札幌農学校を経て、今の北海道大学へと発展しました。
【お知らせ】 アイヌカテを独立させました。更に二つの子カテに分かれています。
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