アベ(阿倍・安倍・阿部)の語源は、
アイヌ語のアフィ(火)ではありません。プロアイヌが言い出した事なのか、シンパが言い出した事なのか。
はたまた、オカルト信奉者が言い出した事なのか。
定かではありませんが、
まことしやかに語る研究者がおりますので、
釘を刺す意味で書いておきます。
※著書もお持ちの方です。
所蔵しておりますが、ご本人の名誉の為に記載は避けます。 (政治的な意図があるワケではないのが見て取れるので)***
以前から拙宅にお越し下さっている皆様は
既にご存知でしょうが、私の母の旧姓は「
アベ」です。
東北には非常に多いです。
一般的な知識として、『
日本人の名字ランキング』から。
長くなりますが、一部をご紹介します。
23位:阿部 (引用、改行を加えました) 「あべ」と読む名字には「阿倍」「安倍」「安部」などいろいろあるが、
おそらくもとは同じ名字で、漢字をあてる際にいくつかに分かれたものであろう。
この中で一番多いのが「阿部」である。
江戸時代の譜代大名の阿部氏は
備後福山・上総佐貫・陸奥白河の3つの藩の藩主をつとめていた。
藤原北家で小田氏の一族というが、実際のところはよくわからない。
また、陰陽師の「あべ」氏は「安倍」と書く。
平安時代に安倍清明が出て有名になった。
近年、小説や漫画、映画などで取り上げられ、陰陽師ブームにもなっている。
安倍清明以前の家系ははっきりしない部分もあるが、
古代豪族の「阿倍」氏の末裔という。
現在、「阿部」姓は東日本に集中しており、
特に東北地方では青森県以外ですべて11位以内に入っている。
一方、西日本では徳島県と大分県以外では少ない。
「阿部」に続いて多いのは「安部」姓で、
大分県ではベストテンにも入っているほか、島根県などにも多い。
(引用終了、森岡浩著/日本人の名字ランキング/2002新潮社)
さて、引用文中にいくつか出て来ましたが、
時代により、「アベ」の表記には変遷が見られます。
江戸時代、一番力を持っていたのは徳川譜代の「阿部」。
家康の人質時代から仕えていた
阿部正勝の家系。まさに腹心です。
平安時代には、文中にも登場した
安倍清明。
東北においては
安倍貞任。こちらは蝦夷のアベですね。
敗戦の後、弟達は伊予国へと流され、後に大宰府へ移されます。
そして皆さんに一番身近なのは、
阿倍仲麻呂でしょうか?
百人一首では、「
安倍仲麿」と書かれている事が多いようです。
表記の上で最も知られているのは、「
安倍仲麻呂」と思うのですが。
天の原 ふりさけみれば 春日なる みかさの山に 出でし月かも奈良時代は、基本的に「阿倍」と書いたんです。
平安時代には「安倍」で、江戸期には「阿部」が最も知られていた。
結局、現代における表記の違いは、ご維新の後に、
その家がどの「アベ」で届け出たか。ただそれだけです。
東北において、『蝦夷のアベなら、必ず「安倍」と届け出た筈ダ!』
そう思い込む研究者も多いようですが、当の我々はそこまで拘泥していません。
「ど~せ、皆、同じアベだろ?」 亡くなった母も、頓着しておりませんでした。
それはそうと、以前、アイヌ≪民族≫さんが、拙宅にコメントを下さいまして。
「アベは朝鮮人ダー!」
「アナタも日本人じゃナーイ!」
http://fuwameg.blog.fc2.com/blog-entry-1281.html#comment943見た瞬間、噴き出してしまいました(笑)
ダム裁判で有名な、平取町二風谷にお住まいの方です。
※ご本人がブログで明かしていました。お付き合いの幅がわかります(^^)
2017/03/31 不破 慈(ふわめぐみ)
※アップ翌日、加筆修正

引用文中にあった、「藤原北家」ですが。
コレ、津軽藩を調べていた時も出て来たんですよ(沈)
奥州藤原氏を調べて登場した分には、納得しましたが。
津軽氏は
陸奥源氏です。
戦国末~江戸初、南部藩から分かれて独立しました。
経緯が経緯だけに、対抗意識も凄まじいようですが。
家紋は同じく「
対い鶴(むかいづる)」。
幕末、ロシアの脅威が迫り、幕府が蝦夷地を直轄した際、
それまでは禁止されていた和人~アイヌ間の婚姻が許可。
ですが、それに先駆けること100年前の1756(宝暦6)年、
津軽藩は外ヶ浜において、
村民とアイヌの婚姻を許可しております。
旧土人保護法には、婚姻に関する条項など存在しません。道庁のHPで確認できます。
つまり、巷に流布する、「強制的に婚姻させられた」は、真っ赤な嘘なんです。
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