

都立多摩動物公園に行って来ました。
こういう本を図書館で見付けまして。
実物を見てみたくなったんです。
マタギ 矛盾なき労働と食文化/田中康弘 (2009年4月、枻出版社)***
過去記事にアップした通り、不破の親戚には山猟師がいます。
北海道(エゾ)の父方じゃないですよ、東北蝦夷(エミシ)の母方。
幼い頃、遊びに行きました。母の実家から車で30分の距離。
狩猟を続ける母方の親戚[東北蝦夷/福島県](2016/07/13)http://fuwameg.blog.fc2.com/blog-entry-1648.htmlアベ一族と姪っ子~きのこ・たけのこ……(2016/08/29)http://fuwameg.blog.fc2.com/blog-entry-1653.html母方(福島)の伯父や従兄弟は、
確かに山に入るんですが……って、山に住んでいるんですが、
マタギさんとは違うんですよ。あの辺、クマは出ないんです。
動物園の標識を見て、ハッキリしました。
福島の位置、なんとなく判ると思いますが。
確かに、母の実家周辺は、生息域から外れています。


まぁ、大元の土台は同じなんでしょうけれど。
獲れる獲物が違っただけで。
でですね、例の如く、「マタギ≒アイヌ」説が存在します。
北海道のアイヌが南下して、秋田のマタギになった、云々。
勿論、著者の田中康弘さんは否定されています。
縄文・弥生の二重構造説に慣れた我々からすれば、
「北に追いやられたのか、南下したのか、どっち?!」
そうツッコミを入れたくなりますが、当然ながら、どちらも違います。
アイヌはですね、
シベリアから少数民が流入して、再編成された集団です。
13世紀、鎌倉時代ですね。
皆様もご存知の通り、元寇がありましたが。
元軍は、海上からだけでなく、樺太経由でも侵攻しているんです。
所謂「アイヌ文化」は、その頃に形成されたと考えられています。
元軍の兵士がそのまま居座ったとは考え難いので、
難民として大陸から逃れて来たのでしょう。
実際、アイヌはシベリア少数民と、
ミトコンドリアDNAハプログループのタイプを、多く共有しています。
母親から受け継ぐ遺伝子タイプなので、女性も多く移住して来たという事。
※参照:DNA調査沖縄とアイヌが縄文系?(2017/04/17)http://fuwameg.blog.fc2.com/blog-entry-1645.html12世紀、道南は奥州藤原氏の勢力圏でしたから、
北海道には多くの和人(≒蝦夷)が居住していました。
擦文文化人と呼ばれる人々と大規模に混住している所へ、
シベリアから新たな流入があった……、というのが全体の流れです。
仮説を立てること事態は学問に必要ですし、問題ないと思うのですが、
思い付きのレベルで、父方や母方を切り貼り編集され、迷惑しております。
こう主張する研究者まで存在します。
『アイヌの熊祭は、縄文期の猪祭が復活したものだ』
…………大変、申し訳ないのですが。
猪を獲っていたのは、私の母方(福島)の親族です。
2017/04/18 不破 慈(ふわめぐみ)

文化的な連続性を追っていくと、
アイヌはやはりシベリア少数民に近いです。
華やかな刺繍文化にしてもそう。
ただ、アイヌは和人から着物を手に入れ、
シベリアでは清国から衣類を入手していました。
そして、そこに独自の文様を施していくんです。
砂沢クラさんの本には、「魚皮で作った靴」が登場します。
シベリア少数民も履いています。防水性に優れているそうです。
本の内容を紹介できなかったので。田中康弘さんのサイトです。
マタギ自然塾 http://tabi-matagi.com/index.html
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