縄文・弥生の二重構造説はもう古い。
※国立科学博物館のリーフレット(3万年前の航海徹底再現プロジェクト)より***
前記事の後半で、以下の事柄について簡単に触れました。
[1]アイヌ集団は13世紀以降、シベリアからの新規流入を受けて、
先住の擦文文化人や和人(蝦夷)との混交により形成された。
[2]生活文化的な連続性を追えば、アイヌ集団はシベリア少数民に近い。
新たな科学的証拠や学説はどんどん登場しているのですが、
どうも皆さん、固定観念(列島を北上)に縛られている様子です。
ここで原点に立ち戻ってみましょう。
上図は、国立科学博物館のリーフレットからです。
手許でスキャンしたのですが、画像は大丈夫でしょうか?
ご覧の通り、現在では、
日本列島へ3つの流入ルートがあったと考えられています。
勿論、その時に一回こっきりではないですよ?
最初の流入があったのがこの時で、その後も都度、人々はやって来た。
対馬ルート : 3万8000年前
沖縄ルート : 3万5000年前
北海道ルート: 2万5000年前13世紀にも、シベリアから樺太経由でやって来た人々がいたし、
7世紀にだって、百済から難民が流入しましたよね。
※しかも8世紀にはそこのお嬢様が入内(桓武天皇の生母)その積み重ねで、現在の日本人が形成されたんです。
そしてコレは、私が二十歳ぐらいの時に読んだ本に書いてあったのですが。
現代日本人の骨格には、広くアジア全域の特徴が見て取れるのだそうです。
さらに以前、
DNA記事で引用した
国立科学博物館・篠田謙一博士の著書を読んで、私は驚愕しました。
※漢数字をアラビア数字に、改行も加えました。 (一部引用) 実はこれまでに発見されている縄文人骨は
大部分が約5000年前の縄文中期以降のものなので、
それに基づいた日本人起源論も、あまり意識はされませんが
この時代をスタート地点として設定しているのです。
そのなかでは、
縄文人の形質が互いに類似していることを根拠に、
彼らを同一の集団と捉えています。
しかしその均一性については、
この結論を導く基礎となっているのは
縄文時代後晩期における東北から関東にかけての 太平洋側に位置する貝塚から出土した人骨であって、
安易な縄文人均一論を慎むべきだという指摘もあります。
(引用終了) 篠田謙一著/DNAで語る日本人起源論、p124-125/2015岩波書店***
よく芸能人の顔写真を並べて、
縄文系とか弥生系とか、TV番組で判定していますけれど。
…………どれほどの意味があるのでしょうか?
2017/04/30 不破 慈(ふわめぐみ)


篠田謙一先生の著書より、
海部陽介先生(画像左)の著書の方が一般には読み易いかと。
TVやラジオで報道されているんで、ご存知の方も多いかな?
国立科学博物館主催:3万年前の航海、徹底再現プロジェクトhttp://www.kahaku.go.jp/research/activities/special/koukai/
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