北海道縄文人骨から検出される
mtDNAのN9b、D4h2、G1b。
極東シベリア少数民も保有しています。
(引用) 山梨大学の安達登のグループは、
北海道の各地で発掘された56体の縄文人骨を分析して、
ミトコンドリアDNAのタイプを決めることに成功した。
そこで見られたのはN9b、
D4h2、G1b、M7aという4種類だったが、
中でも多いのはN9bだった。
面白いことに、アジアの現代人集団の中で、
N9b、D4h2、G1bは、ロシアの極東地域に暮らす少数民族
(近現代に移住してきたヨーロッパ系のロシア人ではない、
ウリチ、ウデヘ、ニヴフなどの先住民族のこと)にあるが、
東南アジア集団には見られない。
そこで安達らは、北海道縄文人は
基本的に北東アジアからやってきた集団の子孫であると結論した。
(引用ここまで、改行を加えました) 海部陽介著、『日本人はどこから来たのか?』 p181/文藝春秋/2016.2 ※下の画像は、ナナイ・ニヴフ・ウデヘ・オロチ・ウリチです。
世界の民族衣装の事典(丹野郁・監修/東京堂出版)より*****
まぁ、mtDNAの共有は自然ですよね。
だって、日本列島への通り道なんですから。
前記事リンク:縄文・弥生の二重構造説はもう古い。http://fuwameg.blog.fc2.com/blog-entry-1717.html
ここで皆さん、疑問に思われると思います。 「アイヌも、シベリア少数民とmtDNAを共有してるんでしょ?
だったらやっぱり、縄文直系の子孫になるんじゃないの?」ならないんです。いえ、正確には、縄文の血も受け継いでいますが、
後の時代の流入(合流?)を示す決定的な証拠が有るんです。それが記事表題に記した、mtDNAのYなんです。*****
以下、篠田謙一先生の著書から引用します。
※ハプログループ = DNAの系統タイプ(引用) ハプログループYは、最初カムチャッカ半島や
北東シベリアの先住民のなかに見つかりました。
系統的な位置がハッキリしなかったので、
Yという大きな名称が付けられましたが、
後にN9の側枝であることが判明しました。
分布のほとんどが北東シベリアに限られているのが特徴です。
特に沿海州の先住民の集団が
このハプログループを持っていることが知られています。
このハプログループはこの地域で生まれて、
ほとんど拡散を行わなかったようなのです。
このハプログループを持つ人は、
本土の日本人にはほとんどいないのですが、
実は北海道のアイヌの人たちに多くふくまれていることが、
かつて行われたアイヌの人たちのDNAの研究からわかっています。
(引用ここまで、改行を加えました) 篠田謙一著、『日本人になった祖先たち』 p121/NHKブックス/2007.2*****
更に篠田先生の著書から表をスキャンしました。
少々ボケてしまって申し訳ないですが。
一番下が北海道縄文人の欄です。
右側のN9bが6割を超えていますが、Yは全く検出されません。


← 参考までに、江戸期アイヌ人骨からのmtDNA(247KB)
どうぞ皆さん、小さなお子さんにはこう説明してあげて下さい。
日本人とシベリアの人達は、もともと親戚なの。
後の時代に、そこからお嫁さんやお婿さんが渡って来て。
そうして生まれたのが、アイヌの人達なんだよ。2017/05/13 不破 慈(ふわめぐみ)
※5/15、画像一枚追加

アタシ的には、
シベリア少数民の系譜を受け継ぐとか、
「超カッケーじゃーん!(゜▽゜*」って思うんですけどね。
アイヌ先住民族信仰の持ち主には、
縄文直系だの、純粋な日本人だのに固執する人も多くて。
“純粋な日本人”って、いったい何なんでしょう?
あっ、性格の話?(*^q^*)
終戦直後、GHQの甘言に騙されることなく、
北海道を護り抜いたアイヌは、紛れもない日本人だと思います。
終戦後、GHQ(連合国軍総司令部)が占領下の旭川に来て、アイヌの長老たちと面談している。GHQ側が「独立したいか?」と聞くと、長老達は、「日本国民だから、ここに残る」と断ったという。その資料が、米国のスミソニアン博物館に...
GHQ側の記録、アイヌ弾圧などなかった
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