愛玩動物と人間の
子どもを区別できない親以前よりは身体が快復してきたので。
親子連れの多い時間帯に買出しに出ることがあります。
色んな親子を見掛けますよ。
子供を野放しにして走り回らせている親、
中身のない愚痴を、延々延々と我が子に吐き続ける親。
かと思えば、「しっかりとした家庭教育が行われている」と、
見ていて安心する親子もいるんです。目立ちませんけれどね。
私の感覚では、「両極化が進んでいるな」という印象です。
で、表題の件。
ある騒動から、ずっと考えていたんですよ。
「ペットの飼育と、子供の養育の区別がつかない親御さんがいるのでは?」と。
猫や小型犬なら、「マズイ」と思った瞬間に、
飼い主が抱え上げ制止すれば、事無きも得られるでしょう。
死ぬまで家庭で面倒を見る限り、「責任」を果たしたと見做されます。
※リードは離さずに!しかし、人間の子供は違います。
いつかは親許を離れ、社会に巣立って行くんです。
目の届く範囲に、永久に留まってくれる存在ではない。
公共の場で、一応は止めに入っているような素振りを見せても、
その子自身で判断可能にならなければ、集団生活で苦労をするでしょう。
同年齢の子達は、「子供だから」という理由で容赦などしてくれませんからね。
***
自分は愛されて育った。
何をしても、親が後始末をしてくれた。
結婚して、家庭を持った。子供は三人。
もう、親が謝って許される年齢じゃない。
親がダメなら、女房に頭を下げさせよう。
一番の被害者が共に謝罪すれば、世間も納得してくれるさ♪
…………私も、相手女性の家で土下座をさせられた経験がございます。
※DV犯(逆DV含)に共通する思考として、「自分は悪くない」があるようです。2018/04/16 不破 慈(ふわめぐみ)

五体不満足の著者ですけれど。
メディアに登場した当初から、存在意義が理解不能でした。
私には小学校・中学校と、車椅子生活の同級生がいたんですよ。
他にも、手や脚に麻痺を抱えた子。その子とは女の子同士、よく遊びました。
特筆すべき才能がある、或いは事業を成功させた等の功績があれば、
注目も当然と思います。逆境を糧に前進することは、人類不変のテーマ。
その時、障害(ハンデ)は、その人物の付加価値としての位置付けでしょう。
障害を特別なものだと勘違いしているの、あの人の方じゃないの?
障害があってもなくても、親は勘違いしたまま育てたと思うけど。
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