実際に縄文の血は濃いから、
日本人を騙せるんです。そう言えば私、手許に一枚だけ、
シベリア少数民の顔写真を所有していました(^^)
※画像史料:世界の民族衣装の事典(丹野郁・監修/東京堂出版)、p287,282よりウデヘ人男性です。装束は右のナナイ人と同じですね。
沿海州のハバロフスク付近に居住。日本列島のすぐ近くですね~。
ナナイの説明を読むと、中国(旧満州域)に跨って生活しているようです。
彼等の、どちらかと言えば「平坦な顔」。
コレ、
長い年月を掛けて寒冷地適応した結果なんです。
かつて極東シベリアに繁栄していた
オホーツク文化人。
彼等は5世紀頃から徐々に日本列島(北海道)へと南下し、
本格的な流入は13世紀、以降にアイヌ文化が成立するのですが。
出土した人骨を見ますと、
上の写真のように平坦な顔をしているんです。
でも、皆様ご存知の通り、アイヌは全般に、彫の深い顔をしていますよね?
今はもう本土との混血が進んでいますが、古い写真を見ると、そういう人が多い。
それが答えなんですよ。
アイヌはやはり、ベースに縄文の血が濃い。その割合が、国内でも突出して高いから、
今まで、「縄文直系と云う詭弁」が通用していた。そして、日本では俗に、平坦な顔立ちを「
弥生系」なんて言いますけど。
この人達もやはり、
かつてシベリアで寒冷地適応した系統です。
朝鮮半島を南下して、対馬経由で日本列島に入って来た。
だから私、何度も言っているじゃないですか(^▽^)
地域的に濃淡はあれ、「渡来人」と混血したのが日本人だって。
アイヌ文化成立は13世紀 (2019/02/10) http://fuwameg.blog.fc2.com/blog-entry-1878.html※シベリア含め大陸は広大ですし、一口に「渡来人」と言っても、
多様な人達(あるいは混交集団)だったと思います。特に対馬ルート。後期旧石器時代に列島へと流入してきたのは、
寒冷地適応する前の人達だったようです。
だから、かつては形態学的な観点から、
「縄文人は南方由来」って言われていたんですね。
(↑)沖縄から入って列島を北上したとか云うアレ2019/02/28 不破 慈(曾祖母はアイヌ)
※署名運動にご協力をお願います。◎アイヌ協会への公開質問状(1)https://local-history.org/wordpress/%e3%82%a2%e3%82%a4%e3%83%8c%e5%8d%94%e4%bc%9a%e3%81%b8%e3%81%ae%e5%85%ac%e9%96%8b%e8%b3%aa%e5%95%8f%e7%8a%b6-1/◎アイヌ政策の拡大に関する反対署名http://local-history.org/wordpress/%e3%82%a2%e3%82%a4%e3%83%8c%e6%94%bf%e7%ad%96%e3%81%ae%e6%8b%a1%e5%a4%a7%e3%81%ab%e9%96%a2%e3%81%99%e3%82%8b%e5%8f%8d%e5%af%be%e7%bd%b2%e5%90%8d/
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寒冷地適応か~。生き物ってすごいですね。
ワンコの冬毛や夏毛みたいな感じ?
スケールが全然違うか。ごめんなさい。(笑)