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二番目の山羊 ~アイヌは先住民族に非ず

2008年の先住民決議は騙し討ち。2019年のアイヌ新法も不当です。 ※現在は、twitterもFBもやっていません。 【 pixiv:5770560 】

アイヌは、アイヌとして成立する500年前から天皇の臣下

持統天皇十(西暦696)年、
渡嶋蝦夷と粛慎に賜物
  ※錦・絹・斧など



  今年は梅雨が長引いたお蔭で、もう一本、記事をご用意できました。
  今後はコメントを頂いても返信が遅れるかと思います。ご了承下さい。



さて、「渡嶋蝦夷」と目にすれば、道南西部の
渡島(おしま)半島を思い浮かべる方が多いでしょう。

ただ、読みは「渡嶋(わたりのしま)蝦夷」です。
単純に北海道というよりも、津軽半島北部~海峡付近
勢力を持っていた一派と考えられます。 ※半島南部には津軽蝦夷

そして、粛慎
「あしはせ」「みしはせ」「しゅくしん」等と呼ばれますが、
5~6世紀頃から南下して来た、オホーツク文化人の一派です。


保守系で、アイヌ問題に取り組んでいる方ならば、
斉明天皇六(660)年、阿倍比羅夫が渡嶋蝦夷と共に、
この粛慎を討ったこと、ご存知でしょう。

ところが、話はそこで終わりではないのです。
既に冒頭に書き出しましたが、持統天皇の御世に、
渡嶋蝦夷と粛慎の双方が、揃って朝貢に参じています。


そもそも、660年の戦闘においても、
当初は交易を志向していたようです。もう少し言えば、
当時は古墳寒冷期で、それにより北方から南下する人々がいた。
それが「粛慎」と呼ばれたオホーツク文化人なのですね。

同じように、北海道から本州へと南下する人々もおり、
阿倍比羅夫が水軍を率いて北上した理由には、
その混乱への対応の意もあった模様。

ただ粛慎とは言葉も通じず、文化的にも隔たりがあり、
コミュニケーションが上手く取れなかったようです。

それで不幸にも戦闘が開始されてしまったワケですが。
渡嶋蝦夷にしろ、粛慎にしろ。交易で折り合えるなら、それが良い。
30年の間に、打開策が講じられ、事態は大幅に改善されました。


北海道にアイヌ文化が成立するのは、13世紀に入ってからですが。
その500年以上前から、我々の父祖は天皇の臣下だったのです。



2020/08/01  不破 慈(曾祖母はアイヌ)  ※末尾リンク差換え、2022/8/18

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8世紀、秋田県にもオホーツク文化人 (2022/08/13)
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Author:ふわふわ
不破 慈(ふわめぐみ)

アスペルガー症候群(軽度の自閉症スペクトラム/神経発生発達障害の一系統)です。診断済み・手帳持ち。もともとは個人的なブログ(主に当事者研究やエッセイ発表の場)でした。

協会の不正を告発する砂澤陣さんの活動を知り、亡くなった父が、私をアイヌどころか北海道とも無関係に育てた理由が解りました。

父方の祖母は陸奥源氏、福島の母方は東北の蝦夷(安倍氏)。私自身は神奈川県横浜市で生まれ育ちました。


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