人類学で「渡来系弥生人」と呼ばれるのは
すでに列島内で混血が進んだ人達でした。だから、渡来人じゃなく「渡来系」。……専門外の学者さんをいじめても、仕方ないのですけれど。
このまま日本国内に、誤った認識が広まっても困ると思いまして。
アイヌ問題とは関係ないですが、ボランティアでアップします。

上図は、竹田恒泰先生の著書、「天皇の国史」からです。
右下に大陸の人々が斜め一列に並び、
左上には縄文人(東北弥生含む)。
その下に、渡来系弥生人を含む現代日本人が、塊となって表示されています。
そして、本文には、以下のようにありました。

約七〇〇〇年前にほとんど無人だった朝鮮半島に、日本の縄文人が移り住んだことは既に述べた。その集団に、
大陸系の人たちの血が混じったのが弥生時代の朝鮮半島人(縄文系半島人)であり、その人たちが日本列島に渡ってきたのが渡来系弥生人だったのである。現代で例えるなら、日系人の里帰りと同じで、ブラジルの日系三世が日本に移住するようなことに該当する。
この図表で「渡来系弥生人」とされるのは、大陸系諸民族そのものではなく、大陸系と縄文人との間に位置するため、大陸系と縄文人が混血した人達だったと見られる。ということは、
この図表のサンプルとされた「渡来系弥生人」は、約七〇〇〇年前に日本列島から朝鮮半島に移住した縄文人の子孫である縄文系半島人が、弥生時代になって日本列島に戻ってきた人と見る他ない。
※竹田恒泰著、「天皇の国史」p127-128/PHP研究所(2020.08)……ここで、竹田恒泰先生が見落としている「事実」がございます。
この図表で「渡来系弥生人」とされるのは、
弥生時代中期後半の遺跡から出土した人物で、
列島に流入後、500年は経た系統に属します。
渡来系弥生人で最初に核のゲノム解析ができたのは、
福岡県那珂川市の安徳台遺跡に埋葬されていた女性の人骨です。この遺跡は
弥生時代中期後半のもので、10基の甕棺が確認されています。
[p180]安徳台遺跡は弥生時代中期のものなので、弥生時代の開始期からはかなりの年月が経っており、
彼らも日本列島ですでに数百年間生活していた集団です。むしろこれまで渡来系弥生人というと、朝鮮半島集団の遺伝的な要素が非常に強い人々という捉え方をしていましたが、その方が不自然なのでしょう。
渡来系弥生人も日本で誕生した人々と捉えるべきなのです。
[p183]※篠田謙一著、「新版 日本人になった祖先たち」/NHKブックス(2019.03)ちなみに、以下は弥生期の時代区分です。
早期:紀元前1000~
前期:紀元前 800~
中期:紀元前 400~
後期:紀元0~紀元後300安徳台から出土した女性は、中期後半なので、
紀元前200~紀元0年頃の人物となります。
流入も一度きりではないでしょうし、正確な特定は無理ですが、
来日してから
最長で800年、最短でも300~400年は経ています。
だから、私達と変わらないくらいに、縄文の血が含まれているんです。
竹田恒泰先生の解釈だと、
「半島で混血」してから「戻って来た」のが、
現代日本人の直接の祖という認識に繋がる恐れがあります。
2020/10/16 不破 慈(曾祖母はアイヌ)

紀元前の北部九州では、現代日本人の雛形が出来上がっていたんです。
農耕社会に移行すると、一気に人口が増えるので、水稲耕作で繁栄した
混交集団が、在来の縄文集団をさらに(遺伝的に)飲み込む形での東進。
実際、私達に多く伝わっているのは、東日本の縄文人の遺伝子ではなく、
西日本の縄文人の遺伝子だと見られています。混交集団ってそういうこと。
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日本に文明を伝えたとしたい人達がいるみたいですね。
私も最近古代に興味があり弥生人は
縄文人が進化した人達だと知りました。
私達現代人も戦後から見て体格が進化してますし
進化的退化で奥歯が少ない人もいるそうですね。
弥生人は面長で縄文人が四角い顔というのも
嘘とまでは言いませんが
面長の縄文人の骸骨も見つかってるそうです。
日本には日本はダメ、よくないとしたい勢力がいるんでしょうね。
やはり大東亜戦争に負けてからなんでしょうかね?
反日プロパガンダも会津プロパガンダも
左側からの発信ですからね。
縄文時代面白そうなので勉強したいと思います。