初期渡来人の源流は江南にあり
古人類学者の中橋孝博先生を含むチームが、1990年代に
江南地域へと古人骨調査に向かった際のエピソードがあります。
先ずは、上海自然博物館での話。
※引用それは
長江の北岸に位置する揚州市の前漢墓から掘り出された骨で、レンガ用の土取り作業の中で偶然墓が見つかったのだという。汚れた薄紙で何重にも包まれた中から頭骨が取り出されたとき、私はおもわず声をあげてしまった。
長い間水に浸かっていたため真っ黒な色をしたその頭骨が、
北部九州の甕棺から出土する弥生人骨に余りにも似ていたためである。こうした僥倖に出会えないかと期待して上海までやって来たのではあるが、まさかいきなりイメージ通りの古人骨と対面できるとは思ってもみなかった。
結局この時見た前漢時代の人骨はわずか五体で、研究資料としてはまだ不十分なものではあったが、少なくとも弥生時代と同じ時期、江南地方にも弥生人によく似た人々が実際に住んでいた事実が初めて浮かび上がってきたわけで、調査団にとっては大きな弾みになった。
[p260]
※引用、後半に続く……ここで言っている「弥生人」とは、勿論、
渡来系弥生人のこと。
二つ前の記事で説明した、
列島内で(西日本の)縄文人と混血した人達。
長年、縄文人との混血説か置換説かで、見解が分かれていたんですけど。
分子生物学で答えが出ました。
縄文人と渡来人の混血は起きたんです。
SNP解析で、縄文集団と大陸集団の間に、
渡来系弥生人を含む現代日本人の集団が来ます。「純粋な縄文の末裔」なら、縄文集団の位置に来る筈だし、
「純粋な大陸集団の末裔」なら、大陸集団の位置に来る筈です。
渡来系弥生人 ~列島内で縄文人と混血が進んだ人達 (2020/10/16) http://fuwameg.blog.fc2.com/blog-entry-2088.htmlさて、次は南京博物院でのお話です。
※引用再開手分けして進めたその後の分析作業によって、そうした我々の感触は客観的な数値になって表現されていった。
面長で高くて丸い眼窩、鼻根部を始めとする扁平な顔面、身長も男性が一六四・九センチメートル、女性が一五二センチメートルと北部九州の弥生人をわずかに上回る程度で、結局、骨の形態では先に紹介した渡来形弥生人の特徴がほぼ丸ごと当てはまることがわかった。
さらに驚いたのは、試みに福岡市の金隈弥生人の中に江准人骨と似た人はいないかと調べてみたところ、次々とそっくりな個体が見つかったことである。おそらくこれらはラベルを外せば、専門家でもどちらが中国の古人骨か区別がつかないだろう。
ただし歯のサイズはやや小さめで、頭蓋小変異の分析にも資料数が足らず明確な答えが出なかったが、もう一つのmtDNA分析では、北部九州弥生人と同じ塩基配列を持つ個体が、梁王城(二体)と神墩(一体)という、いずれも春秋時代の遺跡で見つかった。同配列を持つ個体は、この江准地域以外にも分布するので、この結果が直ちに渡来系弥生人の江南起源を示すわけではないが、しかし縄文人骨の中にはこのような一致例が見つからないことを考えると、遺伝子レベルでも両地域集団のつながりを想定する上で矛盾ない結果が得られたことにはなろう。ちなみに、遺伝子配列が弥生人と一致したこの梁王城は、先に紹介した
抜歯形式でも土井々浜に似ていた遺跡である。
[p261-262]※中橋孝博著、日本人の起源 人類誕生から縄文・弥生へ/講談社学術文庫2019.01……初期渡来人の存在を否定したい人達は、懸命に主張します。
「縄文⇒弥生の形態変化は、
生活様式が変わって進化したからだ!」
残念ながら、
狩猟採集社会から農耕中心の社会へシフトすると、
基本的に
身長は低くなります。私は栄養面の問題と見ていますが。
植物性の栄養素に偏る食事に変われば、身長は伸びにくくなります。
でも、移行期の日本では逆のことが起きていたでしょう?
初期渡来人との混血を想定すると、スッキリします。
勿論、かつて言われたような「100万人渡来説」などは有り得ません。
朝鮮半島を経由したのであろうと、源流は江南まで遡れるわけですが。
少数の渡来人を縄文人が受け入れ、
水稲耕作により繁栄した混交集団が、
現代日本人の雛形とも言える存在になり、そして、それは北部九州で起きた。
私は、そこに、「和」を見出すんです。
最初は、「
水稲耕作を伝える技術者」としての受け入れだったと思いますが、
前10世紀に水稲耕作を開始し、
九州島を出るまでに200年は掛かっている。
近畿地方に到達するまで、さらに100年を要するという、長い長い旅路です。
何処にも押し付けがないんです。 侵略? 何を言っているのでしょう???
対馬海峡を挟んだ
①朝鮮半島との交流は、ずっと続いていましたから。
それが結果的に、
②農耕社会に移行した際の人口爆発と相俟って、
混交集団における渡来系の血の割合を増やしたのでしょうが、
かつて言われたような「縄文vs.弥生」の構図は見られない。
初期渡来人の存在を否定したい人達は、懸命に主張します。
「生活様式が変わったことによる変化だ、姿形に囚われ過ぎだ!」
………姿形に囚われているのは、何処の誰ですか?
2020/10/25 不破 慈(曾祖母はアイヌ)
※アップ二日後、一文字修整

弥生期以降は、巷で言われる通り、確かに戦乱が起こるようになります。
農耕社会は気候変動に弱く、
不作が続けば膨らんだ人口を養えなくなる。
戦国時代も、小氷期に相当したんです。戦乱が起きていたでしょう?
渡来人は凶暴だったと喧伝する人がいますが、そういう人は嫌いです。
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大戦時、軍艦にアイヌ語由来の名前つけたのは(2艦だけだが)
嫌がらせと思われんだろう、(神威はちょっと違うけど)
言葉は形でしかないので廃れるのでしょう。