明治13(1880)年、平取に小学校が設置。
アイヌ児童を対象に公教育が開始されました。子供達が登校してくると、先生達は先ず、
お風呂に入れて、身体を洗ってあげたそうです。アイヌ文化には入浴の習慣がなく、手洗いや
洗顔等、基本の衛生観念もありませんでした。以前、御歳90を超えるシベリア帰還兵と知り合って。
色々と教えて頂きました。北海道出身だったんです。
ですが、流石に冒頭の話は気が引けたのでしょうか。
子孫である私に対し、詳細を話してはくれませんでしたが。
何れにしろ、本を読めば載っている基本情報ですし、
私としては欠片も気になりません。そもそもの段階で、
入浴の習慣がない地域など、世界中に数多、存在します。
どころか、当時の文明国(先進地域)と位置付けられていた
ヨーロッパでさえ、その点に関しては例外ではなかったんです。
※漢数字⇒アラビア数字1870年代の『カッセルの家庭ガイド』――中流階級の意欲的な主婦のバイブル――は、毎日「石けんを脇の下、股間部、足につけて」スポンジで身体を洗うようにとアドバイスしていたが、「時間に余裕があって、そうしたいと思う人は」という但し書きがついていた。
(略)
当時は、どうしても全身浴をしたい――19世紀においては、社会で最も裕福な人の間でも非常にまれな欲求――という人でも、週に一回の入浴は充分すぎると考えていた。入浴は、一般的に寝室か化粧部屋の暖炉の前に持ち運びできる金属性の浴槽を置いて行われた。家のなかにしつらえる専用の浴室は、19世紀の後半になってから、ごくゆっくりと普及した。
(略)
少なくとも、裕福な人には選択肢があったわけだが、貧しい人々は、手と顔を洗う以外にほとんど何もできず、多くの者はそれさえしなかった。(「世のなかには手と顔以外の部分を洗わずに一生をすごす人がいて、そうでない者はまれである」)。なかには、毎日の手洗いと洗顔を指導されると、不慣れな厄介ごとだと感じる者さえいた。※不潔都市ロンドン――ヴィクトリア朝の都市浄化大作戦(p205-207)
リー・ジャクソン著、寺西のぶ子訳/河出書房新社2016.09……西洋では、香水の文化が発達していたでしょう?
あれは体臭を誤魔化すためのものです。お風呂に入らないから。
王侯貴族や上流家庭だって、日本人のように清潔ではありませんでした。
2021/04/07 不破 慈(曾祖母はアイヌ)

『クスクップ・オルシペ 私の一代の話』の著者である
砂沢クラさんのお母様は、毎朝、必ず洗顔していたそうです。
昔、こんなアドバイスを受けたのだそうですよ?(↓)
「アイヌの女性は、毎日顔を洗ったら、和人男性にモテるのでは?」
……うふふ、可愛らしい女性ね。当時の様子が目に浮かびます(*^^*)
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