コロポックル=縄文人?
※引用(漢数字⇒アラビア数字) 1884年の人類学会の例会にて、当時北海道を中心に活動していた動物学者の
渡瀬荘三郎(後に東京帝国大学動物学講座初代教授となる)は、「
札幌市郊外にある竪穴は、アイヌの伝説にあるコロボックルが残したものではないか」との発表を行った。
(略)北海道などでは、寒さのせいで枯れた植物などがなかなか土に還らないために土壌の埋没堆積作用が弱く、縄文時代のものに限らずいわゆる竪穴住居が埋没しきらないで、地表面に大きなくぼみとして残っている場合がある。渡瀬はこのようなくぼみ、すなわち竪穴住居を、コロボックルが残したものではないかと考えた訳である。※つくられた縄文時代―日本文化の原像を探る(p34)
山田康弘/新潮選書2015.11……アイヌも、同じように考えたんですね(^^)
「自分達の前に、住んでいた人達がいた!」
⇒ おとぎ話作成でですね、シーボルト親子(父と息子がいた)や、
明治初期のお雇い外国人、それに続く日本人学者が提唱した
アイヌ先住民族説や、
コロポックル先住民族説(プレ・アイヌ説)。
これらは、全て、「出雲国譲り神話」や
「神武東征」のエピソードを下地とします。白人による先住民弾圧という時代性を反映しつつ、
「記紀に書かれているから、日本でも同じだろう」
「アイヌの民話にも、似たような話があるぞ」※同書より再度、引用 モースやシーボルト、ミルンらの説は、
日本列島には先住民がおり、彼らは後から日本列島にやってきた日本人の直接的な祖先によって北方へと追いやられたとする点で共通している。そして、
先住民が駆逐されたという事実は、『古事記』や『日本書紀』において描かれている「神武天皇の東征」として神話に記録されている、と考える点でも一致していた。このようなパラダイムが、外国人研究者を含めた明治時代当時の知識層に広まっていたことには注意をしておきたい。
※つくられた縄文時代―日本文化の原像を探る(p31)
山田康弘/新潮選書2015.11……ついでに解説しますと、シーボルトはアイヌ先住民族説、
モースはプレ・アイヌ説。ミルンが「プレ・アイヌ=コロポックル」説。
コロポックル先住民族説に関しては、二段構えなんですよ。
日本人がアイヌを追いやって、追いやられたアイヌが、
更にコロポックルを北方へと追いやった、と云ふ。
いい加減にしません?( ̄∀ ̄;「アイヌ先住民族説」に対抗するため、
「コロポックル先住民族説」を持ち出す人もいますが、
オススメは出来ません。両者は土台が同じものなのです。神話を土台にした「アイヌ先住民族説」を否定する私は、
民話を土台にした「コロポックル先住民族説」も否定します。
ダブルスタンダードの科学など、誰に信用されるでしょう?2021/08/18 不破 慈(曾祖母はアイヌ)
尚、「日本の先住民族は縄文人」と定義する場合。
弥生による縄文弾圧・迫害・虐殺を証明せねばなりません。
海外において、先住民族とは、そのような意味で使われます。
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