「父が北海道出身、祖母が源氏」というと
勘違いされるので、ハッキリ申し上げます。…源義経の子孫じゃないですから(≧△≦)何度も申し上げておりますが、
私の祖母は陸奥源氏です。
甲斐源氏から分かれて北上した一派。奥州源氏とも呼ばれる。
代表格は、南部氏や津軽氏。……ウチはそこまで凄くないですが。
その系統から、アイヌ系の祖父に、祖母が嫁いできたんですよ。
父が昭和19年生まれの次男坊なので、祖父母の婚姻は戦前の話。だからこそ、私はアイヌ協会や御用学者の主張に疑問を抱きました。
そんな苛烈な弾圧や迫害があったなら、源氏の女性は嫁いでこない筈。
お隣の大陸中国を考えれば、解ると思います。
地方政府の小役人であっても、チベットやウイグルの男性に、
自分の娘を嫁がせたりしないでしょう? それこそが差別ですよ。
ですが、話をよく聞かず、違う方向で期待をする方がいて。
『源義経は生き延びて、やはり北海道に渡っていた!』……その後、チンギス・ハンになったと続くのでせうか?(-。-;
そもそも、
源氏二十一流というくらいで、星の数ほどいます。
甲斐源氏や陸奥源氏は、清和源氏の傍流(庶流)に過ぎませんし、
嵯峨天皇には50人も御子さんがいらっしゃいました。
※32人が降下※()内は代数嵯峨源氏(52) 仁明源氏(54) 文徳源氏(55)
清和源氏(56) 陽成源氏(57) 光孝源氏(58)
宇田源氏(59) 醍醐源氏(60) 村上源氏(62)
冷泉源氏(63) 花山源氏(65) 三条源氏(67)
後三条源氏(71) 後白河源氏(77) 順徳源氏(84)
後嵯峨源氏(88) 後深草源氏(89) 亀山源氏(90)
後二条源氏(94) 後醍醐源氏(96) 正親町源氏(106)
桓武平氏(50) 仁明平氏(54) 文徳平氏(55) 光孝平氏(58)
……以上、皇別氏族の中、源氏(と平氏)を並べましたが。
臣籍降下後も名門であり続けた一族は、やはり、限られるので。
日本人は知らない間に、何処かで必ず、皇室と繋がっているんです。それは、列島北端の少数民ですら、例外ではなかったということ。
私の祖母は出自がわかりやすいだけ、皆どこかで繋がっています。
こうして考えると、「
天皇は日本の国体」の意味、納得できませんか?
2021/12/19 不破 慈(曾祖母はアイヌ)

東北だけでなく、
北海道にも源氏の一派はいました。松前藩です。
以前は蠣崎氏と名乗っていて。松前氏も北上した甲斐源氏の一派です。
日本全国、源氏だらけ★ 繰り返しますが、私の祖母は陸奥源氏ですよ♪
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