北海道の礼文島、船泊遺跡から出土した縄文人骨。
現代人に近い精度で、ゲノム情報が得られました。
※日経サイエンス2021年8月号p39&p40より彼女は船泊23号と呼ばれます。
3500~3800年前頃に生きていた人物で、
時代的には、ちょうど縄文後期に当たります。
保存状態が極めて良く、現代人に近い精度で解析が可能でした。
そのデータを基に、復元されたのが冒頭の画像(復顔像)です。
実際にこのような顔をしていたのか、確認する術はありませんが。
現代人のゲノムで複顔を行うと、本人に酷似した像が仕上がります。
犯罪捜査に役立てられるのではないかと、研究が進んでいるんですよ。
その技術を用いて、縄文後期に生きた女性の復顔を行ったんですね。
実は、前記事でご紹介した、2019年のゲノム研究。
彼女(船泊23号)のデータを用いて解析されたんです。
アイヌ7割、沖縄3割。本土日本1~2割:縄文遺伝子 (2022/04/17) http://fuwameg.blog.fc2.com/blog-entry-2260.htmlさて、こういった反論が返されそうです
(返されました)。
・礼文島の縄文女性なら、アイヌと近縁で当たり前じゃないか!
・たった一個体のゲノムで、確定的なことが言えるのか?
残念ながら、船泊23号のデータが、現代人並に高い精度だっただけで、
他地域の縄文人骨との比較でも、似たような結果が出ているんです。
少なくとも7800年前までに、縄文人は、
ほぼ均質化していたようです。
※抜粋 これまでに現代人と同じ精度で全ゲノムが解析できた縄文人は船泊23号だけだが,それ以外にも
福島県の三貫地(さんがんじ)貝塚,愛知県の伊川津(いかわづ)貝塚,佐賀県の東名(ひがしみょう)遺跡の縄文人骨のゲノムが解析されている。東名は7800年前の縄文早期,船泊は縄文後期,三貫地は縄文晩期の人骨で,最も新しい伊川津は年代的には弥生時代に入るが,ゲノムは完全に縄文人のものだった。これらの縄文人のゲノムは互いに非常によく似ていた。「
縄文人は少なくとも7800年前までにほぼ均質化し,3000年前に渡来人がやってくるまでに,遺伝的には同質な集団が連続していたと考えられる」と神澤は話す。
【引用注:神澤秀明氏は国立科学博物館人類研究部研究員】※日経サイエンス2021年8月号p43より列島に初めて、現生人類が上陸したのが3万8000年前。
約2万年の時を経て、縄文時代が始まったのが1万6000年前。
多様なルートから流入した人々が、最初から均質な集団だったとは、
ちょっと考えにくい。ですが、交流する時間は充分にあったでしょう。
対馬ルート 3万8000年前
沖縄ルート 3万5000年前
北海道ルート 2万5000年前2022/04/24 不破 慈(曾祖母はアイヌ)
「2万年前にシベリアから南下したのが縄文人」とのデマがあります。
アイヌプロパガンダの一環です。始原の地は北海道と錯覚させたい。
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