アイヌは土器を使わなくなりました。
和人と交易し、鉄鍋を入手できたので。東京大学大学院人文社会系研究科・文学部 2008年度
北海道における鉄文化の考古学的研究
-鉄ならびに鉄器の生産と普及を中心として- 笹田 朋孝※途中から抜粋擦文文化後期(11世紀ごろ)に鉄器の出土率ならびに一軒当たりの鉄器数が増加する。青森では9世紀後半に鉄器生産の急増に伴い、鉄器の出土も急増している。青森と擦文文化の鉄器の増加には1世紀以上のタイムラグがあるが、
基本的には北海道の鉄は青森をはじめとする北奥と関連しながら変遷を辿る。
(略)第Ⅵ章では、アイヌ文化期の鉄器の普及とその交易を論じた。現時点では12~14世紀前半の鉄の様相は明らかではない。
14世紀後半以降、鉄器組成に鉄鍋や刀が加わり、鉄器の出土率や出土数が急増する。
(略)アイヌ文化期では擦文文化期の少なくとも数倍以上の鉄器が出土している。
(略)※笹田朋孝氏(現・愛媛大学准教授)の論文概要、全文(↓)https://www.l.u-tokyo.ac.jp/postgraduate/database/2008/624.html……本州以南(和人社会)から鉄鍋を入手できるなら、
わざわざ土器なんて作りませんよね。重いし。落とせば割れるし。
さて。ここで、もう一件。鉄鍋の普及に関し、参考になりそうなお話を。
岩手県奥州市水沢羽田町にある、及源鋳造株式会社様のHPからです。
えさし郷土文化館の学芸員・野坂晃平さんが寄せられた文章(↓)
鉄鍋の登場 ※抜粋、改行を加えました。 水沢玉(たま)貫(ぬき)遺跡から出土した鉄鍋は、吊り下げるための耳が口(こう)縁部(えんぶ)の内側に取り付けられているのが大きな特徴であることから「
内耳鉄鍋」と呼ばれる。耳は向かい合うように2箇所に付く縦耳となっている。
(略) 内耳の鍋は東海や関東甲信地方から多く出土しているが、そのほとんどが“土製”である。一方で内耳鉄鍋は北海道の近世の遺跡に多い。
東北地方北部では、平泉、水沢、陸前高田、一戸、横手などから良好な内耳鉄鍋が出土しており、年代も11~12世紀頃のものと推定されていることから、その歴史が平安時代後期にまでさかのぼることを示している。ただし出土例は極めて少なく、この頃に鉄鍋が一般の集落にまで広く普及していたとは考えにくい。
※野坂晃平氏による全文⇒ https://oigen.jp/enjoy/localculture/12414/……平安後期、11~12世紀ということは、奥州藤原氏の時代。
鉄鍋の所有は、富裕層に限られたとは云え、北奥は先進地域でした。
実は
12世紀以降、オホーツク文化圏でも内耳土器が盛んに作られます。
アイヌ文化成立は13世紀以降ですが、初期の頃は使っていたんですよ?
千島~カムチャツカ南部では、18~19世紀まで内耳土器が使われます。
和人社会との繋がりが深い北海道では、早くに鉄鍋が普及したんですね。
2022/06/05 不破 慈(曾祖母はアイヌ)
12世紀・道南は奥州藤原氏の勢力圏 (2016/05/25)http://fuwameg.blog.fc2.com/blog-entry-1643.html
- 関連記事
-