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二番目の山羊 ~アイヌは先住民族に非ず

2008年の先住民決議は騙し討ち。2019年のアイヌ新法も不当です。 ※現在は、twitterもFBもやっていません。 【 pixiv:5770560 】

北海道はいつから日本? 五畿八道のお話

平安時代の行政区分を見ると、
北海道(蝦夷地)がありません。


では、北海道は外国だったのか?
 

それも違います。
北海道に「国」はなかったので。




森先一貴・近江俊秀著、境界の日本史p136~137、朝日選書983、20190425
※境界の日本史(p136-137)/森先一貴・近江俊秀/朝日選書983/2019.4.25




……本の見開きページをスキャンしてアップしました。
検索すれば、ウィキなどで綺麗な画像がヒットしますから、
地図の詳細は、そちらでご確認頂ければと思います(_ _)


さて、上図は律令制に基いた行政区分、令制国(りょうせいこく)です。
飛鳥・奈良の時代に整備され、なんと明治初期まで使われ続けました。

所謂、五畿七道というヤツですね。そして、戊辰戦争の後に、
蝦夷地が「北海道」と改称され、五畿八道になりました。


正式な仲間入りとしては遅かったものの、北海「道」とは、
日本国の、それも飛鳥時代からの伝統に則った命名なんです。

 機内(大和・山城・摂津・河内・和泉)
 東海道・東山道・北陸道・山陽道・山陰道・南海道・西海道
 北海道 ←1869(明治2)新設(正式に仲間入り)



じゃあ、それまで北海道は外国だったのかというと、全然違います。

現代は(南極以外)、ほぼ全ての土地が、何処かの国に帰属していて、
国境が細かく定められているため、感覚的に掴めないかも知れませんが。

古い時代は、必ずしも、隣国が隣り合っていたワケではないんですよ。

空白の部分というか、遊びの部分というか。境界が面のように存在して、
「あちら」と「こちら」を隔てていた。緩衝地帯が広かったってことかな。


勿論、緩衝地帯・地域であっても、勢力圏や影響圏というものはありました。
北海道は、ずっと日本の勢力圏だったでしょう? アイヌはNationじゃない。

当時の国際情勢(ロシアの南下)を考えても、重要な手続きだったと思います。
東洋式の、旧来の統治形態では、通用しなくなる時代が来てしまったんです。



さて、北海道。平安時代なら、まだアイヌは成立していませんね。

道北にはオホーツク文化が広がり、道央を中心として擦文文化が栄え。
道南部には当然、和人も住んでいた。というか、大規模に混住していた。

現代人の感覚を、そのまま当時に当て嵌めてはいけないんですよ。




2022/08/27  不破 慈(曾祖母はアイヌ)

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粛慎と呼ばれたオホーツク文化人は、日本の天皇に朝貢していました。
古くは、本国」と「服属する周辺部族という統治形態だったんです。
服属した以上は臣下。その縁があり、子孫は今、日本国臣民です(^^)

 アイヌとして成立する500年前から天皇の臣下 (2020/08/01)
 http://fuwameg.blog.fc2.com/blog-entry-2070.html
 8世紀、秋田県にもオホーツク文化人 (2022/08/13)
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[ 2022/08/27 13:36 ] アイヌ問題 -4.DNA・人類学・考古学 | TB(0) | CM(0)
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Author:ふわふわ
不破 慈(ふわめぐみ)

アスペルガー症候群(軽度の自閉症スペクトラム/神経発生発達障害の一系統)です。もともとは個人的なブログ(主に当事者研究やエッセイ発表の場)でした。

協会の不正を告発する砂澤陣さんの活動を知り、亡くなった父が、私をアイヌどころか北海道とも無関係に育てた理由が解りました。

父方の祖母は陸奥源氏、福島の母方は東北の蝦夷(安倍氏)。私自身は神奈川県横浜市で生まれ育ちました。


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