北海道にも古墳があります。
8~9世紀前半にかけての築造。本土日本の時代区分では、
奈良~平安初期に相当します。
※江別古墳群(復元)、北海道江別市元江別
※各々、一部を引用 古墳時代を象徴する前方後円墳こそ県下にはないが、
終末期古墳とよばれる律令国家成立期前後の古墳は、県内にも多数存在する。これは北海道の続縄文文化の系統を引く土壙墓と、南の古墳文化とが融合して出現したもので、小規模な円形墳丘の中に石室を構築したり墓壙を掘るという、両者のそれぞれの特徴を兼ね備えた、異文化交流の好例である。時期的には
七世紀から九世紀にかけて、北上川流域を中心に東北北部、さらには北海道の道央部にまで広がっている。
※青森県の歴史(p52)山川出版社/第一版2000.2.25、第二版2012.11.30
北海道式古墳は、昭和初期に江別市元江別旧豊平川河岸・旧町村牧場、恵庭市茂漁川河岸であいついで発見され、
東北北半の末期古墳の系統を引くものである。径は三~七メートルで、高さは一メートルに満たない墳丘をもつ。
出土物は土器(土師器・須恵器)、鉄器(蕨手刀・毛抜形刀・刀子・鎌・鋤)、銙帯金具、勾玉、環状装身具などで東北北部の末期古墳とほとんど変わりなく、これらの出土物の分析から
築造年代は、おおむね八世紀前半から九世紀前半までの約一世紀のあいだと推定されている。
※北海道の歴史(p32-33)山川出版社/第一版2000.9.15、第二版2012.3.30
※以下、北東北~道央の末期古墳一覧。クリックで拡大してご覧下さい。
←北海道博物館研究紀要 第1号 2016年/鈴木琢也氏論文p2より……つまりは7世紀以降、北東北⇒道央にかけて、
地方色の強い小円墳が、数多く造られた、ということ。
岩手県北上市の江釣子(えづりこ)古墳群は特に有名でしょう。
金箔を挟んだガラス玉が出土しました。中近東由来と見られます。
別に、北日本だけではないんですけれどね(^^)
古墳時代が終わってからも、古墳は造られ続けています。
高松塚古墳やキトラ古墳なら、聞いたことがあるでしょう?
壁画で有名なところ。共に8世紀初頭、飛鳥時代の築造です。
飛鳥:592~710 奈良:710~794 平安:794~1185
基本的には、前方後円墳の時代を古墳時代と呼びます。
同時期に、前方後方墳・円墳・方墳も造られましたが。これは、社会の階層の「視える化(視覚化)」なんです。前方後円墳は、各地域の支配階級に許されていて、
小円墳や小方墳は、中流階級の人々に許されていた。律令の時代になり、国家・社会制度(序列・秩序)が整ってくると、
「視える化」は必要なくなり、
前方後円墳は消え、墳丘規模も縮小。
縮小とは云え、高貴な人物の墓は、一辺50m超が当たり前でしたが、
方墳や円墳が主流になり、八角墳も登場しました。
※末期古墳古墳時代の研究とは、
律令以前の
国家の成立・統合過程を研究する学問領域です。
古墳は確かに大事ですが。
「モノ」を通して、人々の意識の変化を探っています。
2022/09/03 不破 慈(曾祖母はアイヌ)

ハンチントンは著書の中で、
日本文明成立を100~400年頃としました。
確かに、
2世紀には出雲に四隅突出型墳丘墓が出現します。
※早期古墳彼は、
弥生後期~古墳前期に、列島の文明成立を想定しているのですね。
日本文明:世界で唯一、王朝・国家と一体の文明圏 (2022/05/29) http://fuwameg.blog.fc2.com/blog-entry-2269.html
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