アイヌ女性も簡単な畑仕事をしていました。
種を蒔いて芽が出るのを待つ、といった
かな~り初歩的なものでしたけれど。……育てていたのは、ヒエ・アワ・キビ・ムギ・ソバ・ダイズ、等々。
空いている場所に種を蒔いて、それ以上の世話はしません。雑草も抜かない。
ベースが狩猟採集なので、
使わない草木を刈り込むという発想がないんです。
こういった状態ですから、当然、アイヌを農耕民に数えることはできません。
生業の中心はあくまで、狩猟・採集・漁撈。植物の栽培は補助的な位置づけ。
それでも、人類学や民俗学の世界には、便利な言葉がありまして。
園耕民です。以下、国立歴史民俗博物館・藤尾慎一郎先生の著書から。

農耕民とは水田稲作や畑作などの農耕を選択して主な生業とする(選択的生業構造をもつ)人びとで弥生時代の水田稲作民が相当する。狩猟採集民は、狩猟、採集、漁撈などありとあらゆる生業に依存して網羅的に組み合わせて暮らしている(網羅的生業構造をもつ)人びとで縄文人が相当する。最後に聞きなれない用語である
園耕民だが、語源は英語のhorticultureからきている。
農耕を行ってはいるものの主な生業とは位置づけておらず、狩猟・採集などと同様に農耕も一つの手段にとどめている人びとを指す。特に縄文後期以降、水田ではなく畑で稲作を行っている(以下、畑稲作)可能性のある縄文人を園耕民とよぶことができよう(藤尾「生業から見た縄文から弥生」『国立歴史民俗博物館研究報告』第四八集、一九九三)。
※<新>弥生時代 五〇〇年早かった水田耕作(p128-129)
藤尾慎一郎/吉川弘文館 歴史文化ライブラリー329/2011.10.1……単純な理解をしてしまえば、狩猟採集民 ⇒ 園耕民 ⇒ 農耕民です。
気候条件の縛りもあるので、ステップアップ式で考えるのはおかしいですが。
よくある「
縄文農耕論」とは、縄文時代に農耕社会が確立していたのではなく、
後期・晩期の縄文人が、園耕を行っていた、園耕民だったというお話なのですね。
さて、冒頭において、「女性」という存在がクロースアップされました。
性差別でも何でもありません。狩猟採集社会では、性による分業が明確です。
果物・ナッツ・雑穀といった植物性食糧を採集するのは、女性の仕事でした。
そうして集めてきた種子類や種籾を、自分達の居住域の近くに植えれば、
芽が出ます。遠方へと採集に出掛けるより、その方がはるかに楽でしょう?
そのようにして、人類は農耕を開始しました。先ずは「園耕」という形で。
2022/10/29 不破 慈(曾祖母はアイヌ)
北海道で園耕が始まったのは擦文時代に入ってから。縄文時代においても、
本州では、タンパク質の3~6割を植物性の食糧から摂取していましたが。
北海道は魚介・海獣に偏った食生活。植物性食糧は採集自体が難しかった。
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