17~19世紀にかけ、
150年もの間、ロシア帝国の
侵略を退け続けた先住民がいます。
カムチャツカ半島の更に北、
シベリア北東端のチュコト半島。その一帯に住む、チュクチ族です。
https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Chukchi_family_old.jpg※チュクチの家族とシベリアンハスキー(男性の足許)の写真
20世紀初頭(1900~1910年頃)の撮影と見られる。
※引用、漢数字⇒アラビア数字 シベリア北東端に位置するチュコト半島は、ロシア帝国の侵略的な拡大を防止できた唯一の例外である。そこに住むチュクチやエスキモー、そして初期のヤクート、ツングース、コリャークやユカギールの息の長い抵抗のためである。なかでも、
チュクチの抵抗は特筆に値する。
ベーリング海峡航行の後の1649年にデジニョフは、アナドゥル川中流の島に城塞場(砦)を開いた。このアナドゥル砦がチュコト半島侵略の基地になった。アナドゥル砦は、1764年までに城壁で囲まれ、5つの見張り塔、1つの協会、そして130戸の家が建ち並ぶまでになった。しかし、同じ
1764年には、モスクワの元老院がアナドゥル城塞村を廃棄する決定を下したのである。
(略) 結局、
19世紀の中葉に、ロシア政府は、チュコト半島の軍事的な征服を放棄し、チュクチに対する軍事活動を止めることにした。その代わりに、通商や交易などを中心にロシア人の入植を奨励する。そのことは、ロシア帝国のコサック軍を相手にして、チュクチは150年の長い間、彼等の抵抗を持続することができたことを物語っている。
※北の人類学―環極北地域の文化と生態/アカデミア出版会1992.5.30
岡田宏明&岡田淳子編/黒田信一郎担当、Ⅶチュクチの抵抗p170-172……ロシア帝国の軍事政策を転換させるなんて、
どれだけ勇猛で恐ろしい人々なのかと思うでしょうが。
実際のチュクチ族は、物凄く、純朴な人達ですよ。
トナカイの遊牧や、捕鯨・漁撈で生計を立てています。
犬ぞりでも知られていますね。日本でもペットとして人気の
シベリアンハスキー。元々、チュクチ族が飼育していた犬です。
ゲノムの研究においても、チュクチ族は
アメリカからアジアに逆流した祖先のDNAを40%受け継いでおり、
アメリカ先住民とも、遺伝的に近いことが判明しています。
特に、
エスキモーと呼ばれる人々と、繋がりが深いようです。
※再度、引用(改行を加えました) 火砲を備えたコサック軍に対して、弓矢で戦ったチュクチがなぜ勝利したのか。その理由の一つとして、北極海沿岸とベーリング海峡沿岸のチュクチとエスキモーが味方したことが挙げられる。ロシアの出現以前にも緊密な相互の友好的な関係はあった。しかし、戦時下において、海岸チュクチが、
海獣の皮を張って造った舟を援軍として差し向けなかったならば、疾風のような奇襲作戦は成功しなかったであろう。もちろん、戦闘の成否を決したのは、馬に対するトナカイである。騎馬のコサック軍は、夏は北方の湿地(北海道方言で「やち」という)に足をとられて馬は沈没し、冬は湿地に蹄を取られて馬は転倒した。トナカイは極北ツンドラに最も適していたのである。
※北の人類学―環極北地域の文化と生態/アカデミア出版会1992.5.30
岡田宏明&岡田淳子編/黒田信一郎担当、Ⅶチュクチの抵抗p182※対露戦の主役は、内陸で遊牧をするトナカイ・チュクチでした。2023/2/9 不破 慈(曾祖母はアイヌ)

現在のチュクチ族は、人口約1万5000人だそうです。
中、1万2000人がチュコト半島の自治管区に居住しています。
ロシアのコサック軍と戦った17~19世紀でも、1万人前後の少数民でした。
ロシアが負ける筈ない? わからないよ。私たち次第だ。
- 関連記事
-