ってか、小娘だった。「ええ~、今だってそうじゃない?」とか言わんで。そりゃガンガンに片付けられる人から見ればまだまだだけど、昨日アップした部屋、そう酷くもないでしょ?
ガキの頃はま~、片付けられんかったワ。末っ子だったから、自分一人の部屋は無かったんだけど、勉強机だけ与えられてね。その机の上、いつもごっちゃごちゃ。物が山盛り。マジで山ンなってた。ウチの母ちゃん、キレイ好きだったから、我が家でアタシの机だけ汚いの。母ちゃんがキレて、何度机の上の物を外に放り出されたか。それでも、中学の頃からは少しだけマシになり。高校ではもう少しマシになり。でも、就職してから職場でアタシは事務の女の子の中で、一番机が汚い。仕事出来る程度には片付いてたけど。それでも、3・4年過ぎた頃、ようやっとアタシなりの「整理整頓術」が見えて来て。事務所内、片付けまくり。職場の事務所、丸々一つ、アタシの実験場。ただ、女の子らしいキレイな片付け方じゃなくて。ひたすら機能性重視。事務用文具・消耗品、お茶・コーヒーのストックから皆のカップ類。夜食用のインスタント食品。 「どうしたら、一目で在庫を把握し、事務所内全員が必要な物を取り出し易いか?」「先入れ先出し」 これに終始した。二重に買うのはお金の無駄だから。ま、残業残業だった生活が一転して、超~ヒマになったからそんな時間あったんだけどね。鍛えられたなぁ。
一回、上司に「もっと周りを見習え」って言われたけどね。いや、確かにアタシは片付け出来ないよ? でもさ、当時アタシは、いや、アタシだけでなく、事務所の女の子全員、月の半分は泊り込みで残業してたんよ? 夜7時8時には帰宅する上司に言われたくないワ。 ただでさえ片付け出来ない人間が、片付ける時間的余裕の無い状態。片付けられるワケがない。
なんだが、落ち着いてきてから、「どうにかせんと」と思ってな。でも、片付け方自体が良く解らない。そこで。事務所のお姐様方に「片付けの勉強をしたい。でも、片付け方が解らない。どんな片付け方だったら自分にも出来て維持出来るのか。色んな人の机を見て勉強させてもらい、自分に合ったやり方を考えたい」と事情を説明し、机の中を見せてもらい、コツを教えてもらった。あ、「参考にしたい」なんて言っちゃダメよ? 「勉強」って言うの。人様から教えを請うのに「参考」は失礼。よく「参考になりました」って言う人がいるけど、あれは「参考『程度』になりました」って言ってるのと同じ。特に目上の方や先輩には「勉強になりました」って頭を下げる。で、その人なりのアイデアを色々教えてもらったんだが、それでも、すぐには出来なかった。でも、試行錯誤を繰り返すうち、「うん、まあ、これなら」と思えるレベルにまで達した。4・5年掛かったな~。
今思えば、明らかに発達障害の傾向だったんだな。でもそれでも。片付けやコミュニケーションが人並みでなくとも、「少しでも改善しなきゃ」と直向(ひたむき)に頑張っていれば「やる気はあるな。コイツなりに努力してる」と評価される。「んじゃあ、まあ、助け舟出してやるか」と周囲に受け入れて貰える。
ただ、これも重度ではなく軽度だから出来た事だと思う。それとな、この間、書店でアスペの本を立ち読みした。こんな内容が記されていた。「軽度で、言語能力に秀でている場合は、かなりの率で障害を補える」と。ここで言う言語能力は、他(多)言語習得能力ではない。理由までは書かれていなかったが、推察すればこういう事だ。人類は言葉の発達に伴い、複雑な思考を獲得していった。言葉を用いる事により、様々な事柄を整理し把握し、また更に深い領域へと踏み入る。「考える」為には「言葉」が必要になる。「創意工夫」の為には「言語能力」が重要な役割を果たす。
アスペやら何やら、今は「自閉症スペクトラム」として括られているが、その障害の状態は千差万別。なんか、コミュニケーションが苦手とされる発達障害、全部ここに入れられてるべ? 手前味噌だが、アタシは言語能力に秀でている。まぁな。学校の授業聴いて、後は宿題以外何もしません、状態の中ジャリ娘が初めて受けた学力テストでポーンと偏差値74を取得しちまったんだ。でも、これは国語だけの話。他の4教科は平均値50スレスレ。予習復習もきちんとやってたら、もっと高い点数取れたかな? ま、アタシ、興味無い事は一切やりたくない人間なんだけど。冗談めかして「お前、勉強すれば東大行けるんじゃない?」とからかわれ、「勉強しなきゃ行けないなら行かない」と即答した。第一我が家に大学行く金は無ぇ。苦学する気も無い。さっさと就職して8時間労働して、家に給料入れたい。
「文章を読んでも理解出来ない」ってアスペも多いんだよ。風景の描写や比喩なんかによる感情表現が理解出来ない。行間が読めない。単語は多く知っている。難解なものまで、膨大に。だが、それは単なる記憶力。文章を書く為には「組み立てる力」が必要になる。それは「考えを整理する力」「深く思考する能力」。 「創意工夫する力」。
彼等は決してバカではない。他方面に置いては、信じられない力を発揮する者もいる。ただ、「千差万別」だから状態は様々。そして、他の本で出て来たが「発達アンバランス症候群」と表現されるように、出来る事と出来ない事の差が激しい。凸凹人間。
小さい時分に診断を受ければ、その子を伸ばしていく支援が受けられる。親も助言を受けながらそのように育てる。だが、「何でお前は普通に出来ないの?!」と詰られて(なじられて)育てば、自分を卑下する事しか出来ない。頭から抑え付けられた子供は成長出来ない。
「何で出来ないの?」ではない。その子を成長させる気があるのなら「どうしたら出来るようになるか?」を何故一緒に考えない? そこで考え方のクセを付けてやれば、親の手を離れてからも、自分自身で「どうすれば出来るようになるか?」を考える子に育つ。発達障害児だけじゃないだろ? 健常とされる人であっても、能力は千差万別。それが「個性」。
出来ない事を責めるな。どうすれば出来るようになるか考えろ。
2012/08/28 不破 慈
多くの発達障害者が能力を眠らせているのが口惜しい。
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