二番目の山羊

北海道出身の父はアイヌクォーター、福島出身の母は「蝦夷のアベ」

勉強するほど、騙される。

勉強するほど、騙される。



前記事の後半部分。
私の危機感が伝わらないと思ったので、今回は補足です。

2017/06/23 先住・後住を証明しても、アイヌ利権は潰せない。
http://fuwameg.blog.fc2.com/blog-entry-1721.html#more




***




私の標的(ターゲット)は、
アイヌ利権そのものではなく、
学界の定説であると述べました。

どういう事か?






だって皆さん、騒いでいるじゃないですか。
「日本の先住民族であるアイヌを左翼が利用しているー!」


先住民じゃないし。

ってか、そもそも民族じゃないし。



拙宅で何度も書いて来ました。
「道南部には、昔っから和人が生活していたよ」
「統一された民族じゃない。実在のアイヌは部族社会だった」


“先住民族”なる単語を用いたことで、どんな弊害が起きたか?






北海道開拓史が、
白人による、インディオや
アボリジニ虐殺のように騙られる。

それが国際社会における、
“先住民族”の認識だからです。





他ならぬ、日本人が認めているって構図。






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[ 2017/07/04 14:03 ] アイヌ問題 -1.北海道・アイヌ | TB(0) | CM(0)

先住・後住を証明しても、アイヌ利権は潰せない。

先住・後住を証明しても、
アイヌ利権は潰せません。




重要なのは、
少数民(マイノリティ)を自称すること。
その上で、「差別」「弾圧」と騒ぐことだからです。






皆さんもよくご存知でしょう?

「女性の人権」と騒ぎ立てるハリウッド女優は略奪婚者。
「差別反対」を唱える女医は、中指を立てるのが大好き。


こういう人達をWスタンダード(二重基準)と呼びます。
そしてメディアが、その表の顔だけを取り上げ、
「人権主義者」「平和運動家」と持て囃します。

コレが世に言う「人権ビジネス」です。

彼等が、チベットやウイグル、
そして南モンゴルの為に働いてくれるでしょうか?




先住・後住どころか、
フィクションの先住民族をいくら叩いたところで、
この流通経路が存在する限り、アイヌ利権は生き続けます。


  フィクションの先住民  ← 商品の提供、補助金(代金)の受け取り
  タレント・作家・政治家 ← 宣伝効果・イメージアップ戦略・得票
  各種メディア・新聞社  ← 情報(流通)網 = インフラの提供



…………勿論、その「代金」とは、日本国民の血税ですよ?





***





※実在のアイヌは部族社会です。

東西エンチュウ・ソーヤ・ペニウンクル
シュムクル・サルンクル・メナシクル・トゥカチ。

砂澤陣さんのブログ記事
 ⇒ http://koushinminzoku.blog117.fc2.com/blog-entry-359.html
後進民族アイヌ  http://koushinminzoku.blog117.fc2.com/






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[ 2017/06/23 11:55 ] アイヌ問題 -1.北海道・アイヌ | TB(0) | CM(2)

擦文とオホーツク、最初の融合 ~トビニタイ文化

擦文とオホーツク、最初の融合
 ~トビニタイ文化~




私は北海道へ飛ぶことが出来ませんので。
本記事はあくまで、「紹介」のレベルに留まりますこと、ご了承下さい。

ウィキの内容で(一般的な知識としては)問題なさそうです。
以下、転載です。読み易いよう、改行を加えます。



トビニタイ文化  出典:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

トビニタイ文化(トビニタイぶんか)は、9世紀ごろから13世紀ごろにかけて、
北海道の道東地域および国後島付近に存在した文化様式の名称である。
1960年に東京大学の調査隊が羅臼町飛仁帯(とびにたい)で
発見した出土物が名称の由来である。


解説
トビニタイ文化の直接の源流はオホーツク文化である。
オホーツク文化に属する人々は以前から北海道に南下していたが、
7世紀から8世紀にかけては道北・道東に広く進出していた。

その後、9世紀になって擦文文化に属する人々が道北に進出すると、
道東地域のオホーツク文化圏は中心地である樺太から切り離されてしまった。
その後この地域のオホーツク文化は擦文文化の影響を強く受けるようになり、
独自の文化様式に移行していった。

これが現在ではトビニタイ文化と呼ばれる文化様式である。
トビニタイ文化はその後、擦文文化に同化し、13世紀初め頃には姿を消した。


熊の崇拝
斜里町のウトロ地区入口にある、
トビニタイ文化期のチャシコツ岬下B遺跡から
2005年、ヒグマを祭祀に用いた痕跡と思われるヒグマの骨が発見された。

これにより、擦文文化には見られなかった一方で
オホーツク文化には存在した熊崇拝は、トビニタイ文化を経由して
アイヌ文化にもたらされたのではないかとの見方も浮上している。


(引用ここまで、改行を加えました)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%88%E3%83%93%E3%83%8B%E3%82%BF%E3%82%A4%E6%96%87%E5%8C%96





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[ 2017/06/14 12:46 ] アイヌ問題 -1.北海道・アイヌ | TB(0) | CM(0)

対立構図でアイヌを語る危険性

歴史年表、篠田謙一著、DNAで語る日本人起源論p155より

北海道mtDNAの変遷、篠田謙一著、DNAで語る日本人起源論p167より  ←サムネイル、279KB (1293 x 728)




そう言えば、拙宅ではまだ北海道の年表をアップしていませんでした。
やっぱり篠田謙一先生の著書からですけれど(分子人類学に激ハマリ中)。
※DNAで語る日本人起源論 p155&167より、2015岩波現代全書


本土日本とは、流れが大分違うでしょう?

ちなみに、北東北にも続縄文時代がありました。
以降も擦文文化人との交流が盛んだったことから、
東北を「プレアイヌ(プロトアイヌ)」と位置付ける学説まで存在します。

当然、東北の蝦夷(日本古来の蝦夷)を母方に持つ私は、ブチ切れ状態です。
それでカテを設けて、コツコツと東北の記事をアップしているワケですが。



***



話を、北海道に戻します。
前記事からの流れです。

前記事リンク:シベリアからの流入、決め手はmtDNAのY
http://fuwameg.blog.fc2.com/blog-entry-1718.html


用語の説明が面倒だったので
ずっと「シベリア少数民の系譜を受け継ぐ」と表現して来ましたが、
年表にも名称がある通り、正確には「オホーツク文化人」です。

このオホーツク文化人が、mtDNAのYを保有していて、
それが現在のシベリア少数民と、アイヌ集団に受け継がれたんです。


※以降、mtYと略します。





[タグ未指定]
[ 2017/05/23 15:15 ] アイヌ問題 -1.北海道・アイヌ | TB(0) | CM(0)

シベリアからの流入、決め手はmtDNAのY

北海道縄文人骨から検出される
mtDNAのN9b、D4h2、G1b。
極東シベリア少数民も保有しています。




日本人はどこから来たのか書影、海部陽介著、文藝春秋刊   (引用)

 山梨大学の安達登のグループは、
 北海道の各地で発掘された56体の縄文人骨を分析して、
 ミトコンドリアDNAのタイプを決めることに成功した。

 そこで見られたのはN9b、
 D4h2、G1b、M7aという4種類だったが、
 中でも多いのはN9bだった。

 面白いことに、アジアの現代人集団の中で、
 N9b、D4h2、G1bは、ロシアの極東地域に暮らす少数民族
 (近現代に移住してきたヨーロッパ系のロシア人ではない、
  ウリチ、ウデヘ、ニヴフなどの先住民族のこと)にあるが、
 東南アジア集団には見られない。

 そこで安達らは、北海道縄文人は
 基本的に北東アジアからやってきた集団の子孫であると結論した。


 (引用ここまで、改行を加えました)
 海部陽介著、『日本人はどこから来たのか?』 p181/文藝春秋/2016.2




   ※下の画像は、ナナイ・ニヴフ・ウデヘ・オロチ・ウリチです。

   5-7、シベリア諸民族 5-8、シベリア諸民族
   世界の民族衣装の事典(丹野郁・監修/東京堂出版)より





*****





まぁ、mtDNAの共有は自然ですよね。
だって、日本列島への通り道なんですから。


国立科学博物館、3万年前の航海徹底再現プロジェクト、リーフレットより


前記事リンク:縄文・弥生の二重構造説はもう古い。
http://fuwameg.blog.fc2.com/blog-entry-1717.html






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[ 2017/05/13 19:49 ] アイヌ問題 -1.北海道・アイヌ | TB(0) | CM(0)
ふわふわでぇす!

ふわふわ

Author:ふわふわ
不破 慈 (ふわ めぐみ)

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